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第23章 — 第一の天使のメッセージ GCJ 81

1843年の「時間の宣言」という運動に神様が共に居た事を私は見た。 それが試金石になって、人々が目覚め、決めなければならない立場に立たされるのは神様の目的だった。 牧師たちは預言の期間に関する解釈の正しさを認め、確信した。 自尊心、給料、そして教会を捨て、あちこちにそのメッセージを広めた。 しかし、「キリスト教の牧師」と言われ、天国からのメッセージを本当に心から受け入れた人はわずかしかいなかったので、メッセージが 託された人のほとんどは牧師ではなかった。 ある人はメッセージを伝えるために自分の畑を去り、他は自分の店や商売から呼び出された。 数人の専門家まで、第一の天使のメッセージを伝える人気のない仕事をせずにはいられなく、自分の専門職を捨て去った。 牧師たちは自分の宗派の教えや感情を置いておき、団結して、イエスがやって来るのを宣言した。 そのメッセージをどこで聞いても、人々は感動した。 罪人は泣きながら悔い改め、許しを求めて祈った。 不正で知られていた人たちは必死に埋め合わせをしようとした。 GCJ 81.2

親は自分の子供に対して深い心遣いを感じた。 そのメッセージを受け入れた人たちの魂が厳かなメッセージの重みを感じながら、不信者である友人や親戚に「人の子」のやって来る事を警告して、備えるよう切願した。 心のこもった警告で重要な証拠が知らされても、服しようとしなかった人たちの良心は本当に麻痺したものだった。 この魂を清める運動によって心は世俗的な事から遠ざかれ、かつて経験した事もないほどの献身ぶりへと導かれた。 何万人もの人は、ウィリアム・ミラーが説いた真理を受け入れた。 このメッセージをエリヤの霊と力によって宣言するため、神様に仕える人たちが引き起こされた。 イエスに先立ったヨハネのように、この厳かなメッセージを説いた人たちも、木の根におのを当て、人々が悔い改めにふさわしい実を結ぶよう、勧めずにはいられなかった。 彼らの証言の強い影響を受けた各教会が目覚め、本当の性質を明らかにするのは神様の狙いだった。 「やって来る怒りから逃れよう」という重大な警告が広まると、各教会に入っていた人の多くはいやしのメッセージを受け入れ、自分の逆戻りに気付いた。 そして悔い改めの激しい涙を流しながら魂の苦悶を感じ、神様の前でへりくだった。 神様の霊に覆われると彼らは、「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。 神のさばきの時がきたからである」という叫びに声を合わせた。 GCJ 82.1

特定の時間(にイエスがやって来る)という教えは説教壇にいる牧師から天国に敵対する一番無謀な罪人まで、あらゆる階級の人の大反対を呼び起こした。 「その日やその時は誰も知らない」という声が偽善の牧師たちや無礼にあざ笑う人たちから聞かれた。 両者とも、預言の期間が終わる年を示した人の教えがあっても、キリストが間もなく来る兆しがあっても、その聖句の本当の解釈を聞き入れ、自分の間違えを直そうとはしなかった。 群れの牧 者の多くは、「イエスを愛している。 イエスがやって来るという話に反対はしない。 ただ特定の時間の話に異議がある」と言った。 全知の神様は彼らの心を探った。 彼らはイエスを心から愛していなかった。 イエス・キリストが残したへりくだった道を歩んでいないので、自分たちの非キリスト教的な人生では試練に耐えられる事ができないと自覚していた。 こういう偽牧者たちは神様の働きの障害物であった。 真理には説得力があったので聞いていた人たちは目覚め、あの刑務所長(使徒行伝16:30)が尋ねたように、「私は救われるために、何をすべきでしょうか」と尋ね始めた。 そこでこの偽牧者たちは人々と真理との間に割り込んで、口先だけのうまい説教で、皆を真理から引き離そうとした。 彼らはサタンと彼の天使たちと声を合わせて、「大丈夫だ。 平和だ」と叫んだが、本当は大丈夫ではなかった。 神様の天使たちは一切を記録して、そして清くない牧者たちの服は(惑わされた人たちの)魂で血まみれになった事を私は見た。 楽な生活を好み、神様と離れても平気な人たちは、この世的な安心から目を覚めようとしなかった。 GCJ 82.2

牧師の多くはこの救いのメッセージを拒んだばかりではなく、受け入れようとしていた人たちを邪魔した。 人の魂の責任の血は彼らにある。 牧師たちや一般の人が共にこの天国からのメッセージに反対した。 彼らはウィリアム・ミラーの影響力を傷付けるためデマを飛ばしたりして、一緒に働いた人たちを迫害した。 神様からの忠告をはっきりと伝え、聴衆の心を鋭い真理で突いたウィリアム・ミラーに対して何度も人がかっとなって、礼拝の後に彼を殺そうと待ち伏せした。 しかし、彼の命を守るために神様の天使たちが送られ、暴徒の群集から安全なところに連れて行った。 彼の働きはまだ終わっていなかった。 GCJ 83.1

信心深い人たちは喜んでそのメッセージを受け入れた。 メッセージは神様からのもので、ちょうど良い時期に送られたと彼らが分かった。 天使たちは興味深く天国からのメッセージの成果を見つめていたが、各教会がそれに背き、拒否してくると、彼らは悲しみながらイエスと相談した。 するとイエスは各教会から顔を背け、天使たちにその証言を拒まなかった大切な人たちを忠実に守るように命じた。 なぜなら、もう一つの光が彼らを照らす事になるからであった。 GCJ 83.2

「クリスチャン」と言われる人がもし、自分の救い主を愛情の対象とし、現れるのを好んで、この世に匹敵する者はいないと思っていたら、救い主がやって来る最初のほのめかしで大喜びするはずと私は見た。 でも、自分の主がやって来るのを聞くとそれに対する嫌悪を表したので、彼らは主を愛していない事が確実に立証された。 サタンと彼の天使たちは勝ち誇り、「イエス・キリストの信者」と言われる人たちはイエスが再び現れるのを望んでいないほどイエスに対する愛情が薄い事を、イエスとイエスの聖なる天使たちの面にぶつけた。 GCJ 84.1

神様の民は自分の主がやって来るのを喜んで待ち望んでいる光景を私は見た。 でも神様は、彼らを試す事にした。 神様は自分の手で預言の期間の計算にある一つの間違えを隠した。 自分の主を待ち望んだ人たちはその間違えを見落として、それに預言の期間(の教え)に反対した優秀な学者たちでさえそれを見落としてしまった。 自分の民が挫折に遭うのは神様の計画だった。 そして、預言された時間が過ぎ去った。 自分の主がやって来るのを喜んで待ち望んでいた人たちは悲しんで、落胆してしまった。 それに対して、イエスが現れなくても良いと思いつつも、ただ恐怖心からメッセージを受け入れた人たちは、期待通りにイエスがやって来なかったのでほっとした。 信仰の告白が彼らの心を変えず、人生を清める事もしなかった。 「預言の期間の過ぎ去り」という計画がよく練られ、こういう人たちの心を明らかにした。 その人たちは一番先に刃向かって、イエスの現れを心から望んでいる、悲しんで、落胆した者をバカにした。 神様は、困難に遭うと尻込みする者を探り出すため、自分の民に厳しい試練を与えた。 ここに神様の知恵があるのを私は見た。 GCJ 84.2

イエスと天国に居る者は皆、魂から愛する者に会いたく、首を長くして熱望している人たちを同情や愛情を込めた目で見た。 彼らの試練の時がくると、支えてあげるため天使たちはその周辺の上を舞いていた。 天国からのメッセージを受け入れなかった人たちは暗やみに残された。 天国から光が送られたのに、受け入れようとしなかった人に対して、神様の怒りが燃えた。 自分たちの主がなぜ来なかったのか理解できず、落胆してしまった忠実な人たちは暗やみには残されなかった。 彼らはもう一度預言の期間を調べるために聖書の方に導かれた。 計算した数字から主の手がずらされると、間違 えたところが明らかになった。 預言の期間は1844年まで及んでいると彼らが分かってきた。 1843年に預言の期間が終わると教えた証拠その物が、1844年に終わる事を証明した。 神様の言葉にある光が彼らの立場を照らすと、少しの間待つべき期間、「もし幻が遅くなっても、それを待て」を見つけた。 イエスが早くやって来るのを熱望した人たちは、幻の待つべきところを見落としてしまった。 でもこれこそが真に心から待っている人とは誰か、を明らかにするための手段だった。 もう一度彼らにある時点に関するメッセージがあった。 しかし、多くの人がひどい失望感を乗り越えられず、1843年にあったほどの活力や熱意を取り戻せなかった事を私は見た。 GCJ 84.3

サタンと彼の天使たちは彼らに勝ち誇った。 そのメッセージを受け入れなかった人はそれを「妄想」と呼び、その「妄想」を受け入れなかったので自分は賢く、先見の明があると誇らしく思った。 自ら神様からの忠告を拒否している事を彼らは悟らず、サタンと彼の天使たちと手を組んで、天国からのメッセージを生活に取り入れた人たちを当惑させている事に気付かなかった。 GCJ 85.1

このメッセージを信じた人たちは各教会で弾圧された。 しばらくの間、教会の人たちは恐れていたので心の思いを行動に移らなかったが、預言された時点が過ぎ去ると本当の気持ちが明らかになってきた。 信じた人たちは、「預言の期間は1844年まで及んでいる」と証明する使命感に駆られていたが、各教会の人たちはそれを黙らせたかった。 信じた人たちは自分のミスをはっきりと説明して、そして主が1844年にやって来るのを期待している理由を告げた。 反対した人たちはそんな有力な理由に対して言い返すことばを見つける事ができなかった。 信じた人たちに対して各教会の怒りが燃え上がった。 彼らはどんな証拠があろうと、それに耳を貸さない上、他の人に聞こえるチャンスがないように、信じた人の証しを教会から締め出す事を決意した。 それで、神様がくれた光を他人に与えずにはいられなかった人たちは各教会から締め出されてしまった。 しかし、イエスが一緒にいたので、彼らはイエスの表情の光の中に喜んだ。 第二の天使のメッセージを受け入れる(心の)準備ができた。 GCJ 85.2

ダニエル8:14、ハバクク2:1-4、マラキ3-4章、マタイ24:36、黙示録14:6-7を参照