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第33章 — バビロンの罪 GCJ 116

私は、「各教会が堕落した」と第二の天使が告げた時から、それらの教会の状態を見た。 彼らの堕落ぶりはひどくなってきているのに、まだ、「キリストの信者」という名前を持っている。 この世の人と彼らと区別するのはまったく不可能である。 その牧師たちは神様の言葉を引用するが、口先だけのうまい話を説いている。 生まれ付きの心はこれに反対しない。 そういう心は真理の精神と力、それにキリストによる救いだけを嫌う。 一般の人気のある牧師の話にはサタンを怒らせたり、罪人を震わせたり、迫り来る恐ろしい裁きの事実に心と良心を向けさせたりするところはない。 だいたい、悪い人たちは真の信心の事より、その形式を持つ宗教を好んで、それを手伝って 支持する。 あの天使が、「暗やみの支配者たちに勝利を収め、継続するには義のよろいかぶとに身を固めるしかない」と言った。 サタンは各教会を丸ごと自分の物にしている。 神様の言葉のはっきりとした鋭い真理よりも、人間の言行が注目されている。 あの天使が、「世の友情と心は神様に敵対している」と言った。 イエスにある力のある質素な真理が世の精神に当たると、たちまち迫害心は呼び起こされる。 多く、本当に多くの「クリスチャン」と呼ばれている人は神様を知った事がない。 心の性質は変わっていないし、俗の考えもまだ神様に敵対している。 彼らは別の名前を取ったにもかかわらず、忠実にサタンに仕えている。 GCJ 116.1

イエスが天国の聖所の聖なる部屋を出て、二番目の幕を通って向こうに入ってから、各教会はユダヤ人のように残され、「あらゆる汚された憎むべき鳥」でいっぱいになってきているのを私は見た。 非常に重大な不正やひどい邪悪が各教会にあるのに、彼らがまだ、「クリスチャンだ」と自称している事をも見た。 彼らの言う事、祈りや勧める事が神様の目には忌まわしいものと見なされている。 あの天使が、「彼らの集会で神様は香りをかがない」と言った。 良心の呵責を感じない彼らは、詐欺を働いたり、うそをついたり、利己的な事をしたりする。 そして、これらの質の悪いところに「宗教」という覆いを被せる。 口先ばかりの各教会の高慢さは私に示された。 彼らの俗な考えには神様の事がなく、むしろ自分の事でいっぱいになっている。 哀れな、いずれ死ぬ体を飾って、満足そうに快く自分を眺める。 イエスと天使たちは怒りの目で彼らを眺めた。 あの天使が、「彼らの罪と高慢は天国に届いている」と言った。 彼らの受ける分は用意されている。 正義と裁きは長く眠ってきたが、もうすぐ目覚める。 「復しゅうは私のする事である。 私自身が報復する」と主は言う。 第三の天使の恐ろしい警告が成就される。 そして彼らは神様の怒りを飲む事になる。 数え切れないほどの悪天使は全地に広がっている。 各教会や各宗教団体はこの悪天使たちでいっぱいになっている。 そこで悪天使たちは大変喜んでこれらの宗教団体を見る。 それは、「宗教」という覆いが重大な不正や犯罪を隠しているからである。 GCJ 117.1

神様によって造られたもの・人間・が一番低い位に落とされ、けだもの同然の扱いを同胞の人間にされる様子を見て、天国にいる者は皆憤慨する。 人間の災いを目撃するたびに心を痛めた、その愛しい救い主に「従ってい る」と自称する人は、奴隷や人間の魂の売買という極めて重大な罪に快く加わってしまう。 天使たちはその一切を記録して、あの本に残した。 信心深い男奴隷、女奴隷、その父、母、子供、兄弟や姉妹の涙はみな天国に詰めてある。 苦悶、人間の苦悶はあちこち運ばれ、売買されている。 神様は抑えている怒りをもうすぐ発する。 自分の怒りはこの国に対して、そして特にこのひどい取引を認めたばかりではなく、自ら進んで参加した宗教団体に対して燃えている。 こんなひどい不正や圧制、苦しみなどを目撃しても、「腰の低いおとなしいイエスに従っている」と自称する人の多くは無情にも、気にしない。 そのうちの多くは、こんな言い表せないほどの苦しみを憎しみいっぱいで自分自身で与え、満足しながら、ずうずうしくも神様を礼拝する。 これはサタンが大変喜ぶ厳粛なあざけりである。 彼はこの矛盾を持ち出して、地獄的に意気揚々とイエスとイエスの天使たちを非難して、「キリストに従っているのは、こんなやつらだ!」と言う。 GCJ 117.2

これらの「クリスチャン」と呼ばれる人たちが殉教者の苦しみの話を読むと、頬には涙がつたう。 「人間が、同じ人間である者に対してそんなに無慈悲にも冷酷な事ができるなんて」と彼らは不思議そうに考えながら、同胞の人間を奴隷にする。 そればかりではない。 自然の絆を切って、日ごとに同胞の人間を冷酷に抑圧する。 彼らが与える絶え間ない無慈悲な拷問は、異教徒やカトリック教徒たちがキリストの信者に与えた残忍な行為に匹敵する。 あの天使が、「神様の判決が実施される日に、異教徒やカトリック教徒たちの刑罰はこういう人たちの受ける分ほどひどくはない」と言った。 圧迫されている者の苦しみや叫びはもう既に天国に届いている。 人間が自分の創造者の形に造られているのに、その同胞の人間を言い表せないほどの冷酷なひどい苦しみに会わせる事に対して天使たちはあっけに取られる。 あの天使が、「こういう人たちの名前は血で書かれ、その上に取り消し線が引かれ、そして燃えるような悲痛の涙であふれている。 神様が光を持つ国に自分の激怒を飲み尽くさせ、そしてバビロンに倍の報復を与えるまで、その怒りは止まらない。 『彼女が支払ったものをそのまま彼女に返し、彼女の行ないに応じて二倍にして戻しなさい。 彼女が混ぜ合わせた杯の中には、彼女のために二倍の量を混ぜ合わせなさい』」と命じた。 GCJ 118.1

無知のままにさせておいた奴隷の魂の責任は主人にある事を私は見た。 その奴隷が犯す罪はみな主人に科せられる。 神様と聖書について何も知らないで、ただ主人のむちだけを恐れ、主人の畜生さえより位が低く、無知のままに置かれてきた奴隷を神様は天国に連れて行く事ができない。 でも哀れみ深い神様はその奴隷に一番いい事をしてあげる。 そういう奴隷は存在しなかった扱いを受けるに対して、その主人は最後の七つの災害の苦しみを受けなければならない上、第二の復活によみがえって、第二のすさまじい死を味わわなければならない。 それで神様の怒りはなだめられる。 GCJ 118.2

アモス5:21、ローマ12:19、黙示録14:9-10、18:6を参照