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第33章 律法の書の発見 PK 536

預言者たちが語ったバビロンの捕囚に関する言葉によって引き起こされた、静かではあったが強力な影響は、ヨシヤの治世の18年に起こった改革に大いに貢献したのである。切迫した刑罰が一時回避されたところのこの改革運動は、長年の間、不思議にも置き忘れて失われていた、聖書の一部分の発見と研究とによって、全く予期しない方法で起こったのである。 PK 536.10

約百年近く前に、ヒゼキヤが最初の過越の祭りを行った時に、教育に当たる祭司が毎日、律法の書を人々の前で公に読むことが定められていた。それはモーセが記した律法、特に申命記の一部を構成する契約の書に与えられたものを守ることであった。これがヒゼキヤの治世をあのように繁栄させたものであった。しかしマナセは、これらの律法を大胆にも破棄してしまった。そして彼の治世の間に、神殿用の律法の書の写本が、不注意な怠慢の結果紛失してしまった。こうして一般の人々は、その教えを受けることができなかったのである。大祭司ヒルキヤが、ヨシヤ王の神殿の保存計画に従って建物の大修復を行っていた時に、長く失われていた写本が、神殿の中で発見されたのである。大祭司はこの尊い書物を書記官のシャパンに渡したので、彼はそれを読んだ。そしてそれを王のところへ持って行って、その発見のことについて報告した。 PK 536.11

ヨシヤはこの古い書物に記されている勧告と警告を初めて聞いた時に、深く感動した。彼は神がイスラエルの前に「命と死および祝福とのろい」をこれほどまでに明確に示されたことを自覚したことがなかった(申命記30:19)。そして彼らが生命の道を選んで、地上において人々の誉れを受け、すべての国民の祝福となるように、何度となく勧告されていたことをこれほどまでに自覚したことはなかった。「あなたがたは強く、かつ勇ましくなければならない。彼らを恐れ、おののいてはならない。あなたの神、主があなたと共に行かれるからである。主は決してあなたを見放さず、またあなたを見捨てられないであろう」とモーセはイスラエルに勧告した(同31:6)、 PK 536.12

神は心から神に信頼する人々を、喜んで完全に救ってくださるという確証が、書物の中に満ちあふれていた。神は彼らをエジプトの奴隷生活から解放されたのと同じように、彼らを約束の地に確立させて、地の諸国の頭とするために力強く働かれるのであった。 PK 536.13

服従の報賞として奨励の言葉が与えられていたが、不服従に対しては刑罰の預言が伴っていた。そして王は霊感の言葉を聞き、彼の前に描き出された光景を見た時に、それが彼の王国内に実際に存在する状態に似ていることを認めたのである。彼は神からの離反についてのこれらの預言的描写に関連して、災いの日が速やかに訪れ、救いの道はあり得ないという明確な言葉を発見して驚いた。その言葉は明瞭であった。言葉の意味を取りちがえることはあり得なかった。そして書物の終わりに、イスラエルに対する神のご処置のしめくくりとして、将来のでき事が繰り返して述べられ、これらの事が重ねて明確にされた。イスラエルのすべての者が聞いているところで、モーセは宣言した。 PK 536.14

「天よ、耳を傾けよ、わたしは語る、 PK 536.15

地よ、わたしの口の言葉を聞け。 PK 536.16

わたしの教は雨のように降りそそぎ、 PK 537.1

わたしの言葉は露のようにしたたるであろう。 PK 537.2

若草の上に降る小雨のように、 PK 537.3

青草の上にくだる夕立のように、 PK 537.4

わたしは主の名をのべよう、 PK 537.5

われわれの神に栄光を帰せよ。 PK 537.6

主は岩であって、そのみわざは全く、 PK 537.7

その道はみな正しい。 PK 537.8

主は真実なる神であって、偽りなく、 PK 537.9

義であって、正である。」 PK 537.10

(申命記32:1~4) PK 537.11

「いにしえの日を覚え、 PK 537.12

代々の年を思え。 PK 537.13

あなたの父に問え、 PK 537.14

彼はあなたに告げるであろう。 PK 537.15

長老たちに問え、 PK 537.16

彼らはあなたに語るであろう。 PK 537.17

いと高き者は人の子らを分け、 PK 537.18

諸国民にその嗣業を与えられたとき、 PK 537.19

イスラエルの子らの数に照して、 PK 537.20

もろもろの民の境を定められた。 PK 537.21

主の分はその民であって、 PK 537.22

ヤコブはその定められた嗣業である。 PK 537.23

主はこれを荒野の地で見いだし、 PK 537.24

獣のほえる荒れ地で会い、 PK 537.25

これを巡り囲んでいたわり、 PK 537.26

目のひとみのように守られた。」 PK 537.27

(同32:7~10) PK 537.28

しかし、イスラエルは、 PK 537.29

「自分を造った神を捨て、 PK 537.30

救の岩を侮った。 PK 537.31

彼らはほかの神々に仕えて、主のねたみを起し、 PK 537.32

憎むべきおこないをもって主の怒りをひき起した。 PK 537.33

彼らは神でもない悪霊に犠牲をささげた。 PK 537.34

それは彼らがかつて知らなかった神々、 PK 537.35

近ごろ出た新しい神々、 PK 537.36

先祖たちの恐れることもしなかった者である。 PK 537.37

あなたは自分を生んだ岩を軽んじ、 PK 537.38

自分を造った神を忘れた。 PK 537.39

主はこれを見、 PK 537.40

そのむすこ、娘を怒ってそれを捨てられた。 PK 537.41

そして言われた、 PK 537.42

『わたしはわたしの顔を彼らに隠そう。 PK 537.43

わたしは彼らの終りがどうなるかを見よう。 PK 537.44

彼らはそむき、もとるやから、 PK 537.45

真実のない子らである。 PK 537.46

彼らは神でもない者をもって、 PK 537.47

わたしにねたみを起させ、 PK 537.48

偶像をもって、わたしを怒らせた。 PK 537.49

それゆえ、わたしは民ともいえない者をもって、 PK 537.50

彼らにねたみを起させ、 PK 537.51

愚かな民をもって、彼らを怒らせるであろう。』」 PK 537.52

「わたしは彼らの上に災を積みかさね、 PK 537.53

わたしの矢を彼らにむかって射つくすであろう。 PK 537.54

彼らは飢えて、やせ衰え、 PK 537.55

熱病と悪い疫病によって滅びるであろう」。 PK 537.56

「彼らは思慮の欠けた民、 PK 537.57

そのうちには知識がない。 PK 537.58

もし、彼らに知恵があれば、これをさとり、 PK 537.59

その身の終りをわきまえたであろうに。 PK 537.60

彼らの岩が彼らを売らず、 PK 537.61

主が彼らをわたされなかったならば、 PK 537.62

どうして、1人で1000人を追い、 PK 537.63

2人で万人を敗ることができたであろう。 PK 537.64

彼らの岩はわれらの岩に及ぼない。 PK 537.65

われらの敵もこれを認めている。」 PK 537.66

「これはわたしのもとにたくわえられ、 PK 537.67

わたしの倉に封じ込められているではないか。 PK 537.68

彼らの足がすべるとき、 PK 537.69

わたしはあだを返し、報いをするであろう。 PK 537.70

彼らの災の日は近く、 PK 537.71

彼らの破滅は、 すみやかに来るであろう。」 PK 537.72

(申命記32:15~21、23、24、28~31、34、35) PK 538.1

こうした聖句とこれに似た聖句は、神のご自分の民への愛と罪に対する神の憎しみとをヨシヤに示した。あくまでも反逆を続ける者に対する急速な刑罰の預言をfが読んだ時に、彼は将来を憂えてふるえた。ユダの邪悪さははなはだしかった。長く続いた彼らの背信の結果はどんなものであろうか。 PK 538.2

王は、以前はあまねく行き渡った偶像礼拝に対して無関心ではなかった。「彼はまだ若かったが、その治世の第8年に」神の奉仕に自分自身を全くささげたのであった。それから4年後、彼が20才の時に、「高き所、アシラ像、刻んだ像、鋳た像などを除いて、ユダとエルサレムを清めることを始め」、国民の誘惑になるものを取り去ろうと熱心に努力した。「もろもろのバアルの祭壇を、自分の前で打ちこわさせ、その上に立っていた香の祭壇を切り倒し、アシラ像、刻んだ像、鋳た像を打ち砕いて粉々にし、これらの像に犠牲をささげた者どもの墓の上にそれをまき散らし、祭司らの骨をそのもろもろの祭壇の上で焼き、こうしてユダとエルサレムを清めた」(歴代志下34:3~5)。 PK 538.3

若い王は、ユダ国内において徹底的な仕事をするだけで満足せず、今では少数の残りの者たちしかとどまっていない、かつてのイスラエルの10部族が占領していたパレスチナの地域にまで、彼の運動を進展させたのである。記録には次のように書いてある。「またマナセ、エフライム、シメオンおよびナフタリの荒れた町々にもこのようにし」た。彼はこの荒廃した地の全域をゆき巡って、「もろもろの祭壇をこわし、アシラ像およびもろもろの刻んだ像を粉々に打ち砕き、イスラエル全国の香の祭壇をことごとく切り倒して、エルサレムに帰った」(同34:6、7)。 PK 538.4

こうしてヨシヤは、若い時から王としての地位を活用して、神の聖なる律法の原則を高めようと努力した。そして今、書記官のシャパンが王に律法の書を読んでいた時に、彼はこの書物の中に知識の宝庫があり、これは彼が国内で行いたいと切に願っていた改革の事業を強力に推進させるものであることを認めた。彼はその勧告に従って歩く決心をした。そしてまた、全力をつくして、その教えを人々に伝え、できることならば彼らを導いて天の律法に対する尊敬と愛を助長させようと決心した。 PK 538.5

果たして、必要な改革を起こすことができたであろうか。イスラエルは神の忍耐の限界近くまで来ていた。間もなく神は、み名を汚した人々を罰するために立ち上がられる。すでに主の怒りは民に対して燃やされていた。ヨシヤは、悲哀と落胆に打ちひしがれて心を悩まし、神の前に身を低くして衣を裂き、心のかたくなな国民の罪のゆるしを祈り求めた。 PK 538.6

そのころ、女預言者ホルダがエルサレムの神殿の近くに住んでいた。王は不吉な予感に襲われ、彼女のことを思い出した。そしてこの選ばれた使者によって主にお伺いし、今や滅亡の渕にある道に迷ったユダを救う力が果たして自分にあるかどうかを、できることならば知ろうと決意したのである。 PK 538.7

王は事態の重要性と女預言者に対する尊敬の念から、国家の第一級の人物を彼の使者として選んだ。彼は彼らに命じて言った。「あなたがたは行って、この見つかった書物の言葉について、わたしのため、民のため、またユダ全国のために主に尋ねなさい。われわれの先祖たちがこの書物の言葉に聞き従わず、すべてわれわれについてしるされている事を行わなかったために、主はわれわれにむかって、大いなる怒りを発しておられるからです」(列王紀下22:13)。 PK 538.8

主はホルダによって、エルサレムの滅亡は避けることができないことという言葉をヨシヤに送られた。人々が今神の前にへりくだったとしても、彼らは刑罰を避けることはできないのであった。彼らの感覚は邪悪な行為のためにあまりにも長く麻痺していたので、もし刑罰が彼らに下らないならば、すぐにまたもとと同じ罪深い行いにもどるのであった。 PK 538.9

女預言者は言った。「あなたがたをわたしにつかわした人に言いなさい。主はこう言われます、見よ、わたしはユダの王が読んだあの書物のすべての言葉にしたがって、災をこの所と、ここに住んでいる民 に下そうとしている。彼らがわたしを捨てて他の神々に香をたき、自分たちの手で作ったもろもろの物をもって、わたしを怒らせたからである。それゆえ、わたしはこの所にむかって怒りの火を発する。これは消えることがないであろう」(列王紀下22:15~17)。 PK 538.10

しかし王が神の前に心を低くしたために、主は、彼が速やかにゆるしと憐れみを求めたことをお認めになった。彼に次の言葉が与えられた。「あなたは、わたしがこの所と、ここに住んでいる民にむかって、これは荒れ地となり、のろいとなるであろうと言うのを聞いた時、心に悔い、主の前にへりくだり、衣を裂いてわたしの前に泣いたゆえ、わたしもまたあなたの言うことを聞いたのであると主は言われる。それゆえ、見よ、わたしはあなたを先祖たちのもとに集める。あなたは安らかに墓に集められ、わたしがこの所に下すもろもろの災を目に見ることはないであろう」(同22:19、20)。 PK 539.1

王は将来のでき事を神に委ねなければならなかった。彼は主の永遠の命令を変えることはできなかった。しかし主は天の神の刑罰を宣言なさったが、悔い改めと改革の機会を取り去られたのではなかった。そしてヨシヤはここに、神が憐れみをもって刑罰を和らげようとしておられることを認めて、決定的改革を起こそうと全力をつくす決心をした。彼は直ちに大集会を開く準備をし、それに一般の人々とともにエルサレムとユダの長老たちとつかさたちが招かれた。この人々は祭司やレビ人とともに、神殿の庭で王に会った。 PK 539.2

この大群衆に王自身が、「主の宮で見つかった契約の書の言葉をことごとく彼らに読み聞かせた」(同23:2)。それを読んだ王は強く心を打たれて感動し、哀感に満ちた調子で使命を語った。聴衆は深く心を動かされた。王の顔に現れた感情の強烈さ、使命そのものの厳粛さ、切迫した刑罰の警告などはみな、それぞれの影響を及ぼし、多くの者は王とともにゆるしを求める決意をしたのである。 PK 539.3

さてヨシヤは、最高の権威者たちが国民と1つになって神の前で厳粛に誓約をなし、決定的変化をもたらすために、互いに協力して努力するように提言した。王は柱のかたわらに立って、主の前に契約を立て、主に従って歩み、心をつくし精神をつくして、主の戒めと、あかしと、定めとを守り、この書物にしるされているこの契約の言葉を行うことを誓った」。それに対する応答は、王が望んだよりもはるかに心からのものであった。「民は皆その契約に加わった」(同23:3)。 PK 539.4

引き続いて起こった改革において、王は残っていた偶像をあとかたもなく破壊することに注意を向けた。国民は長い間、周囲の国民の風習に従って木や石の偶像を礼拝していたので、これらの害悪をことごとくぬぐい去ることは、人間の力ではとうていできそうもなかった。しかしヨシヤは、たゆまず努力して国内を清めた。彼は厳然と偶像礼拝に立ち向かい、「高き所の祭司たちを皆」殺した。「ヨシヤはまた祭司ヒルキヤが主の宮で見つけた書物にしるされている律法の言葉を確実に行うために、口寄せと占い師と、テラピムと偶像およびユダの地とエルサレムに見られるもろもろの憎むべき者を取り除いた」(同23:20、24)。 PK 539.5

幾世紀もの昔、王国の分裂時代にナバテの子ヤラベアムは、大胆にイスラエルが仕えていた神に反抗し、人々の心をエルサレムの神殿における礼拝から引き離して、新しい礼拝の形式に向けさせようとして、ベテルに神の聖別のない祭壇を造った。これによって、多くの者が長年の間に偶像礼拝に誘惑されたのであるが、この祭壇の献納が行われていた時に、突然そこにユダヤから神の人が現れて、この神を汚す行為を責めたのである。彼は「祭壇にむかい……呼ばわって」言った。 PK 539.6

「祭壇よ、祭壇よ、主はこう仰せられる、『見よ、ダビデの家にひとりの子が生れる。その名をヨシヤという。彼はおまえの上で香をたく高き所の祭司らを、おまえの上にささげる。また人の骨がおまえの上で焼かれる』」(列王紀上13:2)。この宣言には、この言葉が主からのものであるというしるしが伴っていた。 PK 539.7

3世紀が経過した。ヨシヤが改革を行った時に、 王自身がこの古い祭壇が立っているベテルに来た。その昔ヤラベアムの面前で宣言された預言は、ここに文字通り成就されるのであった。 PK 539.8

「また、ベテルにある祭壇と、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムが造った高き所、すなわちその祭壇と高き所とを彼はこわし、その石を打ち砕いて粉とし、かつアシラ像を焼いた。 PK 540.1

そしてヨシヤは身をめぐらして山に墓のあるのを見、人をつかわしてその墓から骨を取らせ、それをその祭壇の上で焼いて、それを汚した。昔、神の人が主の言葉としてこの事を呼ばわり告げたが、そのとおりになった。 PK 540.2

その時ヨシヤは『あそこに見える石碑は何か』と尋ねた。町の人々が彼に『あれはあなたがベテルの祭壇に対して行われたこれらの事を、ユダからきて預言した神の人の墓です』と言ったので、彼は言った、『そのままにして置きなさい。だれもその骨を移してはならない』。それでその骨と、サマリヤからきた預言者の骨には手をつけなかった」(列王紀下23:15~18)。 PK 540.3

モリヤ山上に建てられていた美しい主の神殿とは反対側の、オリブ山の南の坂に、ソロモンが偶像教徒の妻たちを喜ばせるために造った祭壇や偶像があった(列王紀上11:6~8参照)。3世紀間にもわたって、巨大で不格好な偶像が、イスラエルの最も賢明な王の背信の無言の証人として、「罪悪の山」に立っていたのである。 PK 540.4

さらに王は、律法の書の規定に従って大いなる過越の祭りを行い、先祖たちの神に対するユダの信仰を確立しようとした。聖なる祭りを行う責任を負った人々によって準備が整えられ、祭りの大いなる日に、供え物が惜しみなくささげられた。「さばきづかさがイスラエルをさばいた日からこのかた、またイスラエルの王たちとユダの王たちの世にも、このような過越の祭を執り行ったことはなかった」(列王紀下23:22)。しかし、ヨシヤの熱心は神に喜ばれるものではあったが、過去幾世代にわたる罪を償うことはできなかった。また、王に従った人々のあらわした敬神深さも、偶像礼拝を捨てて真の神の礼拝に立ち返ることを頑強に拒んだ多くの人々の心を変えることができなかった。 PK 540.5

ヨシヤは過越の祭りを祝ってから、10年以上も国を治めた。彼は39歳の時に、エジプト軍との戦いにおいて死んだ。「その先祖の墓にこれを葬った。そしてユダとエルサレムは皆ヨシヤのために悲しんだ。時にエレミヤはヨシヤのために哀歌を作った。歌うたう男、歌うたう女は今日に至るまで、その哀歌のうちにヨシヤのことを述べ、イスラエルのうちにこれを例とした。これは哀歌のうちにしるされている」(歴代志下35:24、25)。「ヨシヤのように心をつくし、精神をつくし、力をつくしてモーセのすべての律法にしたがい、主に寄り頼んだ王はヨシヤの先にはなく、またその後にも彼のような者は起らなかった。けれども主はなおユダにむかって発せられた激しい大いなる怒りをやめられなかった。これはマナセがもろもろの腹だたしい行いをもって主を怒らせたためである」(列王紀下23:25、26)。エルサレムが全く破壊されるときが急速に近づいていた。そして国の住民はバビロンに連れて行かれ、そこで彼らは、順境の時に学ぶことを拒否した教訓を学ぶことになるのであった。 PK 540.6