ゼデキヤの治世の第9年に、「バビロンの王ネブカデネザルはもろもろの軍勢を率い、エルサレムにきて」都を包囲した(列王紀下25:1)。ユダの前途は暗たんとしていた。主ご自身がエゼキエルによって次のように言われた。「見よ、わたしはあなたを攻め」る。「主なるわたしが、そのつるぎをさやから抜き放ったことを知るこのつるぎは再びさやに納められない。……人の心はみな溶け、手はみななえ、霊はみな弱り、ひざはみな水のようになる。」「わたしの怒りをあなたに注ぎ、わたしの憤りの火をあなたに向けて燃やし、滅ぼすことに巧みな残忍な人の手にあなたを渡す」(エゼキエル21:3、5~7、31)。 PK 557.1
エジプト人はやって来て、包囲された都を救おうと努力した。カルデヤ人は彼らを来させないために、一時エルサレムの包囲を放棄した。ゼデキヤは心に希望を抱いて、エレミヤに使者を送って、ヘブル民族のために神に祈ってほしいと願った。 PK 557.2
預言者の恐るべき答えは、カルデヤ人が戻って来て、都を破壊するということであった。厳命はすでに出された。もはや、悔い改めない国家は、神の刑罰を避けることはできなかった。主は、主の民に「自分を欺いてはならない」と警告を発せられた。「カルデヤびとは……去ることはない。たといあなたがたが自分を攻めて戦うカルデヤびとの全軍を撃ち破って、その天幕のうちに負傷者のみを残しても、彼らは立ち上がって火でこの町を焼き滅ぼす」(エレミヤ37:9、10)。ユダに残っていた人々は捕らえられていき、彼らが順境の時に学ぶことを拒否した教訓を逆境において学ばなければならなかった。聖なる警護者のこの命令に対する控訴は、もはやできなかった。 PK 557.3
神のみこころが明らかに示された義人たちがまだエルサレムに残っていたが、その中のある人々は、十戒の戒めが書かれた石の板を納めた聖なる箱が、乱暴な人々の手に入らないようにしようと決意した。 PK 557.4
彼らはそれを決行した。彼らは嘆き悲しみつつ、箱をほら穴の中に隠したのである。箱はイスラエルとユダの人々の罪のゆえに、彼らから隠されて、再び彼らにもどることはないのであった。その箱は今なお隠されている。それはそこに隠されて以来、人手に触れたことはないのである。 PK 557.5
エレミヤは長年の間、神に代わって語る忠実な証人として人々の前に立った。そして今、破滅にひんした都が異邦人の手に渡ろうとしていた時に、彼は自分の仕事はもう終わったものと思って去ろうとしたところが、1人の偽りの預言者の息子に妨害された。彼はエレミヤが繰り返してユダの人々に降伏を勧めていたバビロン人の側に加わろうとしていると言いふらした。エレミヤは、この偽りの告発を否定したけれども、「つかさたちは怒って、エレミヤを打ちたたき……獄屋にいれた」(同37:15)。 PK 557.6
ネブカデネザルの軍勢が、エジプト人と戦うために南に向かった時に、つかさたちと国民の心にわき起こった希望は、やがて無残にも砕かれてしまった。主は、「エジプトの王パロよ、見よ、わたしはあなたの敵となる」と語っておられた。エジプトの力は、折れた葦に過ぎなかった。霊感の言葉は、次のようであった。「そしてエジプトのすべての住民はわたしが主であることを知る。」「わたしがバビロンの王の腕を強くし、パロの腕がたれる時、彼らはわたしが主であることを知る。わたしがわたしのつるぎを、バビロンの王に授け、これをエジプトの国に向かって伸べさせ」る(エゼキエル29:3、6、30:25、26)。 PK 557.7
ユダのつかさたちが愚かにもエジプトからの援助を待望していた時に、ゼデキヤ王は不吉な予感を抱いて、獄に入れられていた神の預言者のことを考えていた。王は多くの日の後、エレミヤを連れてこさせ、「主から何かお言葉があったか」とひそかにたずねた。エレミヤは、あったと答えた。「『あなたはバビロンの王の手に引き渡されます』。 PK 557.8
エレミヤはまたゼデキヤ王に言った。『わたしが獄屋にいれられたのは、あなたに、またはあなたの家来 に、あるいはこの民に、どのような罪を犯したからなのですか。あなたがたに預言して、「バビロンの王はあなたがたをも、この地をも攻めにこない」と言っていたあなたがたの預言者は今どこにいるのですか。王なるわが君よどうぞ今お聞きください。 PK 557.9
わたしの願いをお聞きとどけください。わたしを書記ヨナタンの家へ帰らせないでください。そうでないと、わたしはそこで殺されるでしょう』」(エレミヤ37:17~20)。 PK 558.1
「そこでゼデキヤ王は命を下し、エレミヤを監視の庭に入れさせ、かつ、パンを造る者の町から毎日パン1個を彼に与えさせた。これは町にパンがなくなるまで続いた。こうしてエレミヤは監視の庭にいた」(同37:21)o PK 558.2
王はエレミヤに対する信任の気持ちを公然とあらわすことはしなかった。彼は恐怖心にかられて、ひそかにエレミヤの意見を求めたが、預言者によって語られる神のみこころに従って、つかさたちと国民の非難を受けるだけの気骨を持ち合わせていなかったのである。 PK 558.3
エレミヤは監視の庭からバビロンの支配に従うように勧告し続けた。反抗することは、間違いなく死を招くことであった。主はユダに対して次のように言われた。「この町にとどまる者は、つるぎや、ききんや、疫病で死ぬ。しかし出てカルデヤびとにくだる者は死を免れる。すなわちその命を自分のぶんどり物として生きることができる。」語られた言葉は明白で積極的であった。預言者は、主の名によって大胆に「この町は必ずバビロンの王の軍勢の手に渡される。彼はこれを取る」と宣言した(エレミヤ38:2、3)。 PK 558.4
ついにつかさたちは、彼らの反抗政策とは反対のエレミヤの度重なる勧告を怒って、王に向かって激しく抗議を申し立て、エレミヤは国家の敵であること、彼の言葉は人々の手を弱めて彼らに不幸をもたらしたことを述べ立てて、彼を死に処すべきであると言った。 PK 558.5
臆病な王は、この申し立てが偽りであることを知っていた。しかし国家の有力な高官たちのきげんを取るために、彼らの虚偽を信じるふうを装い、エレミヤを彼らの手に渡し、彼らのなすがままにまかせた。「そこで彼らはエレミヤを捕らえ、監視の庭にある王子マルキヤの穴に投げ入れた。すなわち、綱をもってエレミヤをつり降ろしたが、その穴には水がなく、泥だけであったので、エレミヤは泥の中に沈んだ」(同38:6)。しかし神は、彼を助ける友人を起こしてくださった。この友人たちが、彼のために王に願い出て、彼をまた監視の庭に移させたのである。 PK 558.6
王はもう1度エレミヤを連れてこさせて、エルサレムに関する神のみこころを忠実に語るように彼に命じた。それに答えてエレミヤは言った。「もしわたしがお話するなら、あなたは必ずわたしを殺されるではありませんか。たといわたしが忠告をしても、あなたはお聞きにならないでしょう。」そこで王はエレミヤと秘密の契約を結んだ。「われわれの魂を造られた主は生きておられる。わたしはあなたを殺さない、またあなたの命を求める者の手に、あなたを渡すこともしない」とゼデキヤは約束した(同38:15、16)。 PK 558.7
王には主の警告に喜んで耳を傾ける気持ちがあることをあらわす機会が、まだ残っていた。そしてこうすることによって、すでに都や国家に降りつつあった刑罰を和らげることができた。王に次のような言葉が与えられた。「『もしあなたがバビロンの王のつかさたちに降伏するならば、あなたの命は助かり、またこの町は火で焼かれることなく、あなたも、あなたの家の者も生きながらえることができる。しかし、もしあなたが出てバビロンの王のつかさたちに降伏しないならば、この町はカルデヤびとの手に渡される。彼らは火でこれを焼く。あなたはその手をのがれることができない』。 PK 558.8
ゼデキヤ王はエレミヤに言った、『わたしはカルデヤびとに脱走したユダヤ人を恐れている。カルデヤびとはわたしを彼らの手に渡し、彼らはわたしをはずかしめる」。エレミヤは言った、「彼らはあなたを渡さないでしょう。どうか、わたしがあなたに告げた主の声に聞き従ってください。そうすれば幸を得、また命が助かります』」(同38:17~20)。 PK 558.9
こうして神は、最後の時に至るまで、神の正当な要求に従うことを選ぶ人々に快く恵みを示そうとしておられることを明らかにされた。もし王が服従したならば、人々の生命は救われ、都は火で焼かれないですんだであろう。しかし彼は、もう取り返しがつかないと考えた。彼はユダヤ人を恐れ、嘲笑を恐れ、自分の命を失うことを恐れた。ゼデキヤは、幾年も神に反逆してきたために、「自分は預言者エレミヤによって語られた主の言葉を受けいれる。そしてわたしは、このように警告が与えられたのであるから、それにそむいて敵に戦いをいどむことはできない」と言うのは、あまりにも大きな屈辱であると考えた。 PK 559.1
エレミヤは涙を流して、自分自身と国民とを救うように、ゼデキヤに訴えた。エレミヤは、もしゼデキヤが神の勧告に聞き従わないならば、彼は生きて逃れることはできず、財産はみなバビロン人の手に落ちると、悲痛な気持ちで断言した。しかし王は、すでに誤った道を進んでいて、その道を引き返そうとはしなかったのである。彼は実際には軽べつしていた偽預言者の勧告に従う決意をした。偽預言者たちは、王が柔弱で、やすやすと彼らの思いどおりになったことをあざ笑った。彼は壮年時代の高貴な自由の精神を捨てて、世論にへつらう奴隷となった。彼は悪に走る決意があったのではなかったが、また正義のために大胆に立つ決心もなかった。彼は、エレミヤが与える勧告の価値を十分に悟りながらも、それに従う道徳的勇気を持っていなかった。そのために彼は、徐々に悪い方向へ進んでいったのである。 PK 559.2
ゼデキヤ王は性格が非常に弱く、彼がエレミヤと会談したことを、家来たちや国民に知られたくなかった。彼の心は全く人に対する恐怖に取りつかれていたのである。もしゼデキヤが勇敢に立ち上がって、すでに半ば成就していた預言者の言葉を信じると宣言したならば、そのような荒廃は避けられたことであろう。彼は、わたしは主に服従すると言って、都を全滅から救わなければならなかった。わたしは人の恐怖やまたは愛顧のゆえに、神の戒めを無視することはできない、わたしは真理を愛し、罪を憎む、そしてわたしは、イスラエルの大いなる神の勧告に服従すると言わなければならなかった。 PK 559.3
そうすれば人々は彼の勇敢な精神を尊敬して、信仰と不信の間で決断しかねていた人々が、正義のために堅く立ったことであろう。こうした大胆で正しい行為そのものが、国民の賞賛と忠誠心を鼓舞したことであろう。彼にはト分な支持が与えられ、ユダはつるぎとききんと火による恐るべき災害を免れたことであろう。 PK 559.4
ゼデキヤの弱さは罪であった。そして彼は、そのために恐るべき刑罰を受けた。敵は抵抗することができないなだれのように襲いかかって、都を荒廃させた。ヘブルの軍勢は、混乱を起こして敗退した。 PK 559.5
国家は征服された。ゼデキヤは捕虜となり、彼の息子たちは彼の目の前で殺された。王は目をえぐり取られて、捕虜としてエルサレムから連れ去られ、バビロンに着いてから悲惨な死に方をした。400年以上もシオン山上に位していた美しい神殿は、カルデヤ人の手を免れることはできなかった。「神の宮を焼き、エルサレムの城壁をくずし、そのうちの宮殿をことごとく火で焼き、そのうちの尊い器物をことごとくこわした」(歴代志下36:19)。 PK 559.6
ネブカデネザルが最後にエルサレムを破壊した時に、多くの者は、長い包囲の恐ろしさから逃れたかと思うとつるぎに倒れた。なお残っていた人々の中で、特に祭司の長や国の役人やつかさたちは、バビロンに連れて行かれて、反逆者として処刑された。他の人々は捕虜として連れて行かれ、ネブカテネザルとその子らに仕え「ペルシャの国の興るまで、そうして置いた。これはエレミヤの口によって伝えられた主の言葉の成就するためであった」(同36:20、21)。 PK 559.7
エレミヤ自身については、次のように記されている。「さてバビロンの王ネブカデレザルはエレミヤの事について侍衛の長ネブザラダンに命じて言った、『彼をとり、よく世話をせよ。害を加えることなく、彼があなたに言うようにしてやりなさい』」(エレミヤ39:11、12)。 PK 559.8
エレミヤはバビロンの役人によって獄屋から解放 され、「ぶどう畑と田地」の世話をするようにカルデヤ人が残していった「民の貧しい無産者」と運命を共にすることにした。バビロン人は、この人々の上にゲダリヤを総督として置いた。ところがほんの数か月しか経過しないうちに新しい総督は裏切られて殺害された。貧しい人々は多くの試練を経たあとで、指導者たちの勧めによって、エジプトに避難することにした。エレミヤは、こうした移動に対して反対の声をあげた。彼は「エジプトへ行ってはならない」と嘆願した。しかし霊感による勧告は聞きいれられず、「ユダに残っている者……男、女、子供」は、エジプトに逃れた。「彼らは主の声にしたがわなかったのである。そして彼らはついにタバネスに行った」(同43:5~7)。 PK 559.9
エジプトに逃れて行って、ネブカデネザルに反逆した残りの者に対してエレミヤが宣言した運命の預言には、その愚かさを認めて立ち返る者へのゆるしの約束がいり混じっていた。主は、主の勧告を捨ててエジプトの偶像礼拝の欺隔的影響力のもとに走った人々をおゆるしにはならないが、忠誠をつくして真実に仕える人々には、憐れみを示されるのである。「しかし、つるぎをのがれるわずかの者はエジプトの地を出てユダの地に帰る。そしてユダの残っている民でエジプトに来て住んだ者は、わたしの言葉が立つか、彼らの言葉が立つか、いずれであるかを知るようになる」と主は言われた(同44:28)。 PK 560.1
世界の霊的光となるべきであった人々の徹底的な邪悪さに対する預言者の悲しみ、またシオンの運命とバビロンに捕らえられて行った人々に対する彼の悲しみは、主の勧告にそむいて、人間の知恵に従った愚かさの記念として、彼が書き残した哀歌の中に示されている。彼らに及んだ荒廃のさなかにあっても、エレミヤはなお彼らに「主のいつくしみは絶えることがない」と言うことができた。そして彼は、われわれは、自分の行いを調べ、かつ省みて、主に帰ろう」と絶えず祈っていた(哀歌3:22、40)。ユダが諸国間においてまだ王国であったころ、エレミヤは彼の神にたずねた。「あなたはまったくユダを捨てられたのですか。あなたの心はシオンをきらわれるのですか。」そして彼は大胆に、「み名のために、われわれを捨てないでください」と嘆願した(エレミヤ14:19、21)。混乱の中から秩序を生じさせ、地上の諸国と全宇宙の前に、神の正義と愛の性質を実証なさる神の永遠の計画に対するエレミヤの絶対的信仰によって、彼は今、確信をもって、悪を離れて義に立ち返る人々のために嘆願したのであった。 PK 560.2
今やシオンは全く破壊されてしまった、神の民は捕らわれて行ってしまった。エレミヤは悲しみに打ちひしがれて叫んだ。「ああ、むかしは、民σ)満ちみちていたこの都、国々の民のうちで大いなる者であったこの町、今は寂しいさまで座し、やもめのようになった。もろもろの町のうちで女王であった者、今は奴隷となった。これは夜もすがらいたく泣き悲しみ、そのほおには涙が流れている。そのすべての愛する者のうちには、これを慰める者はひとりもなく、そのすべての友はこれにそむいて、その敵となった。 PK 560.3
ユダは悩みのゆえに、また激しい苦役のゆえに、のがれて行って、もろもろの国民のうちに住んでいるが、安息を得ず、これを追う者がみな追いついてみると、悩みのうちにあった。シオンの道は祭に上ってくる者のないために悲しみ、その門はことごとく荒れ、その祭司たちは嘆き、そのおとめたちは引かれて行き、シオンはみずからいたく苦しむ。そのあだはかしらとなり、その敵は栄えている。そのとがが多いので、主がこれを悩まされたからである。その幼な子たちは捕われて、あだの前に行った」(哀歌1:1~5)。 PK 560.4
「ああ、主は怒りを起し、黒雲をもってシオンの娘をおおわれた。主はイスラエルの栄光を天から地に投げ落し、その怒りの日に、おのれの足台を心にとめられなかった。主はヤコブのすべてのすまいを滅ぼして、あわれまず、その怒りによって、ユダの娘のとりでをこわし、これを地に倒して、その国とそのつかさたちをはずかしめられた。主は激しい怒りをもって、イスラエルのすべての力を断ち、敵の前で、おのれの右の手を引きもどし、周囲を焼きつくす燃える火のように、ヤコブを焼かれた。主は敵のように弓を張り、あだのよ うに右の手を伸べて立ち、シオンの娘の天幕におるわれわれの目に誇る者を、ことごとく殺し、火のようにその怒りを注がれた。」 PK 560.5
「エルサレムの娘よ、わたしは何をあなたに言い、何にあなたを比べることができようか。シオンの娘なるおとめよ、わたしは何をもってあなたになぞらえて、あなたを慰めることができようか。あなたの破れは海のように大きい、だれがあなたをいやすことができようか」(同2:1~4、13)。 PK 561.1
「主よ、われわれに臨んだ事を覚えてください。われわれのはずかしめを顧みてください。われわれの嗣業は他国の人に移り、家は異邦人のものとなった。われわれはみなしごとなって父はなく、母はやもめにひとしい。……われわれの先祖は罪を犯して、すでに世になく、われわれはその不義の責めを負っている。奴隷であった者がわれわれを治めるが、われわれをその手から救い出す者がない。……このために、われわれの心は衰え、これらの事のために、われわれの目はくらくなった」(同5:1~17)。 PK 561.2
「しかし主よ、あなたはとこしえに統べ治められる。あなたの、み位は世々絶えることがない。なぜあなたはわれわれをながく忘れ、われわれを久しく捨ておかれるのですか。主よ、あなたに帰らせてください、われわれは帰ります。われわれの日を新たにして、いにしえの日のようにしてください」(同5:19~21)。 PK 561.3