Go to full page →

迫害と福音の前進 GCJap 253

モーでの迫害の間、改革派の教師たちは、説教の免許状を取り上げられたために、他の地方に去っていった。しばらくして、ルフェーブルはドイツに向かった。ファーレルは東フランスの故郷に帰り、幼少のころの地に光を輝かした。モーにおける出来事がすでに伝えられていたので、彼が恐れることなく熱心に伝える真理に、耳を傾ける人々があらわれた。まもなく、当局者が彼を沈黙させようとして立ち上がり、町から追い出してしまった。彼は、公然と働くことはできなくなったが、村々をめぐって歩き、民家や人里離れた牧場で教え、少年時代の遊び場であった森や岩のほら穴に隠れ家を見いだしていた。神は、さらに大きな試練のために、彼に準備をさせておられたのである。「わたしが予告を受けた十字架や迫害やサタンの陰謀は、わずかなものではなかった。それらは、わたしが耐えられないほど苛酷であった。しかし、神はわたしの父である。神は、わたしに必要な力を備えてくださったし、常に備えてくださる」 GCJap 253.2

使徒時代と同様に、迫害は、「福音の前進に役立つようになった」(ピリピ1章12節)。彼らは、パリやモーから追われて、「御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた」(使徒行伝8章4節)。こうして、光は、多くのフランスの遠隔の地方にまで伝わった。 GCJap 253.3