Go to full page →

キリストの兵卒として GCJap 295

長年にわたる重苦しく慰安のない苦闘―─苛酷な自制、自己譴責、へりくだり―─によって、ウェスレーは、神を求めるという一つの目的をひたすら追求してきた。そして今、彼は、神を見いだした。彼は、自分が祈祷や断食や施しや自己否定によって得ようとしてきた恵みは、「金を出さずに、ただで」与えられる賜物であることを知ったのである。 GCJap 295.1

ひとたびキリストを信じる信仰に堅く立つと、彼の心は、神から価なくして与えられる恵みという輝かしい福音を、あまねく人々に伝えたいという願いに燃えた。「わたしは全世界をわたしの教区とみなす。そしてわたしは、世界のどこにいようと、喜んで耳を傾けるすべての者に救いの福音を宣べ伝えることを、わたしの当然なすべき正当な義務と考える」と彼は言った。 GCJap 295.2

彼は、相変わらず、厳格な克己の生活を続けた。しかし、今それは、信仰の根拠ではなくて、結果であり、聖潔の根ではなくて、実であった。キリストによって与えられる神の恵みは、キリスト者の希望の基礎であり、この恵みは、服従となってあらわれる。ウェスレーの生涯は、彼が受けた大真理―─キリストの贖罪の血を信じる信仰による義認、人の心を変える聖霊の改変力、そして、キリストの模範と一致した生活となって実を結ぶこと―─の宣教のためにささげられた。 GCJap 295.3

ホイットフィールドとウェスレー兄弟は、自分自身の望みのない失われた状態について、長い間深刻に自覚してきたことによって、彼らの働きの準備ができていた。また彼らは、大学時代にも、牧会に入った時にも、軽蔑や嘲笑や迫害といった、激しい試練を受けていたので、キリストのよき兵卒として困難に耐えることができた。彼らと、彼らに共鳴した少数の人々とは、不信心な学生仲間から、軽蔑的に「メソジスト」と呼ばれた。しかし、この名称は、現在、英国とアメリカの最大の教派の一つの名称となって、名誉あるものとなっている。 GCJap 295.4