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イエスの来臨 GCJap 742

天から神のみ声が聞こえて、イエスの来られる日と時とが宣言され、永遠の契約が神の民に伝えられる。どんな雷鳴も及ばぬとどろきをもって、神のみ言葉が地上に鳴り響く。神のイスラエルは、耳を傾け、目を上方に注いで立っている。彼らの顔は神の栄光に照らされて、シナイ山から帰ってきた時のモーセの顔のように輝いている。悪人たちは、彼らを見つめることができない。神の安息日をきよく守ることによって神をあがめてきた者たちに、祝福が宣言されると、勝利の力強い叫びが起こる。 GCJap 742.1

まもなく、東の方に、人の手の半分くらいの大きさの小さい黒雲があらわれる。それは、救い主を囲んでいる雲で、遠くからは、暗黒に包まれているように見える。神の民は、これが人の子のしるしであることを知っている。彼らは、厳粛な沈黙のうちに、その雲が地上に近づくのを見つめる。それは次第に明るさと輝かしさを増し、ついには大きな白い雲となって、下のほうには焼き尽くす火のような栄光が輝き、上のほうには契約のにじがかかっている。イエスは、偉大な勝利者としておいでになる。今度は、恥辱と苦悩の苦い杯を飲む「悲しみの人」ではなくて、天地の勝利者として、生きている者と死んだ者とをさばくために来られる。「忠実で真実な者」「義によってさばき、また、戦うかたである」。そして「天の軍勢が」彼に従う(黙示録19章11、14節)。数えることができないほどの聖天使の群れが、天の聖歌を歌いながら付き従う。大空は、「万の幾万倍、千の幾千倍」もの、輝く天使たちで満たされたように見える。この光景は、人間のどんな筆によっても描くことができない。その輝かしさは、どんな人間の頭でも十分に想像することはできない。「その栄光は天をおおい、そのさんびは地に満ちた。その輝きは光のようであ」る(ハバクク書3章3、4節)。生きている雲が、さらに近づくと、すべての目は、いのちの君を眺める。いまはその聖なる頭を傷つけるいばらの冠はなく、その聖なる額には栄光の冠がある。そのみ顔は、真昼の太陽よりもまぶしく輝く。「その着物にも、そのももにも、『王の王、主の主』という名がしるされていた」(黙示録19章16節)。 GCJap 742.2

イエスを前にして、「どの人の顔色も青く変っている」。神の恵みを拒んだ者に、永遠の絶望の恐怖がおそってくる。「心は消え、ひざは震え、……すべての顔は色を失った」(エレミヤ書30章6節、ナホム書2章10節)。義人たちは、震えながら、「だれが立つことができようか」と叫ぶ。天使たちの歌はやみ、恐ろしい沈黙のひと時が来る。すると、「わたしの恵みはあなたに対して十分である」というイエスのみ声が聞こえる。義人たちの顔は輝き、どの人の心も喜びに満たされる。そして、天使たちは、前よりも調子を高めて歌い始め、ますます地上へと近づいてくる。 GCJap 743.1

王の王は、燃える炎に包まれて、雲に乗って降りて来られる。天は巻物が巻かれるように消えていき、地は、王の王の前に震え、すべての山と島とは、その場所から移されてしまう。「われらの神は来て、もだされない。み前には焼きつくす火があり、そのまわりには、はげしい暴風がある。神はその民をさばくために、上なる天および地に呼ばわれる」(詩篇50篇3、4節)。 GCJap 743.2

「地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、ほら穴や山の岩かげに、身をかくした。そして、山と岩とにむかって言った、『さあ、われわれをおおって、御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ。御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか』」(黙示録6章15~17節)。 GCJap 743.3