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サタンの正体の暴露 GCJap 775

サタンはキリストの栄光と威厳とを見て麻痺したようになる。かつては守護のケルブであった彼は、自分がどこから落ちたかを思い出す。光り輝くセラフ、「黎明の子、明けの明星」が、なんと変わり、なんと堕落したことであろう。かつては尊敬されていた会議から、彼は永遠に除外されてしまったのである。彼は、今は別の天使が神の栄光を覆って天父のそばに立っているのを見る。彼は、背が高く威厳に満ちた容姿の一人の天使がキリストの頭に冠をのせるのを見、この天使の高い地位に自分が立つはずであったことを知る。 GCJap 775.2

サタンが罪をいだかず純潔であった時のふるさと、神に対してつぶやき、キリストをねたむようになるまでは彼のものであった平和と満足が、サタンの記憶によみがえる。非難、反逆、天使たちの同情と支持を得るための欺瞞、神が赦しをお与えになることができた時に、あくまでも心をかたくなにして、元の状態に立ちかえる努力をしなかったこと、すべてがまざまざと目の前に浮かぶ。彼は、自分が人々の中でした働きとその結果―─人と人との間の敵意、生命の恐るべき破壊、諸王国の興亡、王位の転覆、暴動と闘争と革命の連続―─を思い起こす。彼はまた、自分が絶えずキリストのみ業に反対し、人類をますます堕落させようと努めてきたことを思い出す。彼は、自分のどんな悪らつな計略も、イエスに信頼を置く者たちを滅ぼす力がなかったことを知る。サタンは、その労苦の実である自分の王国を見る時、ただ失敗と破滅だけを見る。彼は群衆に、神の都はやすやすと奪取することができると信じさせてきた。しかし彼は、それが偽りであることを知っている。大争闘の進展につれて、サタンは何度も敗北し、降参させられた。彼は永遠なる神の力と威厳とを、身にしみて知っているのである。 GCJap 775.3

この大反逆者のねらいは常に、自分を正当化して、反逆の責任が神の統治にあることを証明することであった。この目的のために、サタンはその絶大な知力を注いできた。彼は慎重に、組織的に行動し、長い間にわたって進展してきた大争闘について、自分の立場からの説明を驚くほど巧みに行って、多くの人々に信じさせてきた。 GCJap 776.1

幾千年にわたり、この陰謀の頭は、偽りを真理に見せかけてきた。しかし、反逆がついに打ち破られ、サタンの経歴と品性が明るみに出される時が、今来た。大欺瞞者サタンが、キリストを王位から退け、神の民を滅ぼし、神の都を占領しようと最後の努力をすることにおいて、彼の正体が完全に暴露された。サタンと協力してきた者たちも、彼の働きが全く失敗したことを知る。キリストに従う者たちと忠実な天使たちは、神の統治に対するサタンの陰謀の全容を見る。サタンは全宇宙の憎悪の的となる。 GCJap 776.2

大争闘の最終的結論 GCJap 776.3

サタンは、自分から進んで反逆したことによって、自分が天に適しない者になったことを知る。彼は神と戦うために自分の能力を訓練してきた。彼にとっては、天の純潔と平和と調和とはこの上ない苦痛となるであろう。神の憐れみと正義に対するサタンの非難は、今こそ沈黙させられた。彼が主に浴びせようと努めてきた非難は、全部彼自身に向けられる。そして今、サタンはひれふして、自分の上にくだった判決が正しいことを認める。 GCJap 776.4

「主よ、あなたをおそれず、御名をほめたたえない者が、ありましょうか。あなただけが聖なるかたであり、あらゆる国民はきて、あなたを伏し拝むでしょう。あなたの正しいさばきが、あらわれるに至ったからであります」(黙示録15章4節)。長年にわたって争われてきた真理と誤謬のすべての問題が、今明らかにされた。反逆の結果、すなわち神の律法を廃することの結果が、すべての知的被造物の目の前で明らかになった。神の統治と対照的なサタンの支配が行われた結果が、全宇宙の前に公開された。サタン自身の行為が、彼を罪に定めたのである。神の知恵と正義といつくしみとが、完全に擁護される。大争闘における神のすべての処置は、ご自分の民の永遠の幸福のために、そして神の創造されたすべての世界の幸福のために行われたものであることが明らかになる。 GCJap 776.5

「主よ、あなたのすべてのみわざはあなたに感謝し、あなたの聖徒はあなたをほめまつるでしょう」(詩篇145篇10節)。罪の歴史は、神が創造されたすべての者の幸福が神の律法の存在と結びついていることを、永遠にわたってあかしする。大争闘のいっさいの事実が明らかになると、全宇宙は、忠誠な者も反逆者も、異口同音に、「万民の王よ、あなたの道は正しく、かつ真実であります」と言明する。 GCJap 777.1

人類のために天父とみ子によって払われた大犠牲が、全宇宙の前に明らかにされた。今こそキリストがご自分の正当な地位を占め、すべての支配、権威、また唱えられるあらゆる名にまさってあがめられる時が来た。キリストが恥をもいとわないで十字架に耐えられたのは、ご自分の前に置かれた喜びのため、すなわち、多くの子らを栄えに入らせるためであった。その悲しみと恥は想像できないほど大きかったが、しかし喜びと栄光はそれよりも大きいのである。キリストは、贖われた者たちがご自分のみかたちに回復され、そのおのおのの心に神の完全なお姿を宿し、その顔に王なる神のみかたちを反映するのを見られる。主は、ご自分の魂の苦しみの結果が、彼らの上にあらわれているのをごらんになって満足される。そして主は、義人の群れにも悪人の群れにも聞こえる声で、「見よ、わたしの血をもって贖ったものを。わたしが彼らのために苦難を受け、彼らのために死んだのは、永遠に彼らをわたしの前におらせるためである」と主は宣言される。そして、み座の周囲の白い衣をまとった者たちが、「ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」と賛美する歌声があがる(黙示録5章12節)。 GCJap 777.2