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ヒエロニムスの投獄 GCJap 127

しかし、もう一つの火刑柱が、コンスタンツに立てられねばならなかった。もう一人の証人の血が、真理のために流されねばならなかった。ヒエロニムスは、フスが会議に行くにあたり別れを告げて、勇敢に堅く立つことを勧め、もし彼の身に危険が迫るならば、ヒエロニムス自身がすぐに援助に行くと言った。フスが投獄されたことを聞くや、この忠実な弟子は、直ちに約束の実行にとりかかった。彼は、通行券も持たず、ただ一人の従者を連れて、コンスタンツに向かった。到着してみると、ただ自分自身を危険にさらすだけで、フスを救い出すなどということは何もできないことがわかった。彼は町から逃れたが、帰途捕らえられてかせをはめられ、一団の兵隊たちに守られて送りかえされた。彼が会議に最初にあらわれて、彼に対する訴えの答弁をしようとすると、「火刑にせよ! 火刑にせよ!」という叫びがあがった。彼は牢獄に入れられ、非常に苦しい姿勢で鎖につながれて、パンと水しか与えられなかった。ヒエロニムスは、獄中の残酷な取り扱いのために、数か月後に、瀕死の病気になった。そこで敵たちは、彼が死んでしまうことを恐れて、幾分ゆるやかに扱ったが、それでも彼は一年間、牢獄に閉じ込められたままであった。 GCJap 127.2

フスの死は、法王教徒たちが期待したような結果をもたらさなかった。彼の通行券に対する侵害は、人々を非常に憤慨させた。そこで会議は安全策をとり、ヒエロニムスを火刑にせず、できれば取り消しを強要しようとした。彼は、会議場に引き出され、取り消すか、火刑による死かのどちらかを選べと言われた。投獄された最初のころに死に処せられたならば、その後に受けた恐ろしい苦難と比較して、まだしも情ある処置だったことであろう。しかし今、獄中の病と苦しみ、懸念と不安の苦痛、友人たちとの離別、そしてフスの死による失望のために、ヒエロニムスの心は弱り、勇気はくじけた。そして彼は、会議に従うことに同意した。彼は、カトリックの信仰を固守することを誓った。そして、ウィクリフとフスが教えた教義の中で、「聖い真理」以外のものを否認するという会議の決議を承認した。 GCJap 128.1

ヒエロニムスはこうした方法で、良心の声をしずめ、死を免れようとした。しかし、一人牢獄の中で考えた時、彼は、自分が何をしたかをはっきりと悟った。彼はフスの勇気と忠実を思い、それに引きかえ、自分が真理を拒否したことを考えた。彼は、自分が仕えることを誓った主、自分のために十字架の死を耐え忍ばれた主のことを考えた。彼が信仰を取り消す前は、あらゆる苦難の中にあっても慰めと神の恵みの確証があった。しかし、今は、後悔と疑惑が彼の心を苦しめた。彼は、ローマと和解するには、なお他にも取り消さなければならないことがあるのを知っていた。彼が踏み込んだ道は、完全な背信に行き着くしかないものであった。ここにおいて、彼は決心した。しばらくの苦難を逃れるために、自分の主を拒むようなことはすまいと決心したのである。 GCJap 128.2