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改革運動の危機 GCJap 162

キリスト教の改革についてドイツの皇帝と貴族とに訴えた中で、ルターは、法王のことを次のように書いた。「キリストの代理であると自分で主張する人間が、どんな皇帝も及ばないような豪華さを誇示するのを見るのは、恐るべきことである。この者は、貧しいイエス、または謙遜なペテロに、似ているであろうか。人々は、彼が世界の主であると言っている。しかし、彼が、代理者であると誇っているキリストは、『わたしの国はこの世のものではない』と言われた。代理者の国は、彼の主の国より広くてよいであろうか」 GCJap 162.1

彼は、大学について、このように書いた。「大学というところは、聖書を説明し、それを青年たちの心に刻みこむために熱心に努力するのでなければ、地獄の大きな門になってしまうのではないかと、わたしは恐れる。わたしは、だれも聖書が最高位を占めていないところに子供を送らないよう勧告する。人々が神の言葉を絶えず研究していない学校は、すべて腐敗するに決まっている」 GCJap 162.2

こうした訴えは、速やかにドイツ全国に配布され、人々に強力な影響を及ぼした。全国民が奮い立ち、群衆は改革の旗のもとに結集した。ルターの敵たちは、復讐の念に燃え、彼に対して断固とした処置をとるように、法王に迫った。そこで、彼の教義を直ちに禁止する命令が出された。ルターと彼の支持者たちには、六〇日間の猶予が与えられた。そして、もしその後も取り消さないならば、彼らはみな破門されるのであった。 GCJap 162.3

これは、宗教改革にとって、非常な危機であった。幾世紀の間、ローマの破門宣告は、有力な君主たちを震えあがらせ、強力な帝国を悲嘆と荒廃に陥れてきた。 GCJap 162.4

破門された人々は、一般の人々から恐怖と嫌悪の情をもって見られ、仲間との交際を絶たれ、法律の保護外のものとされて、狩り出されて処刑されるのであった。ルターは、彼のまわりに吹き荒れる暴風雨に気づかないわけではなかった。しかし彼は堅く立って、キリストが彼の支持者であり盾であることを信じた。殉教者の信仰と勇気をもって、彼は次のように書いた。「何が今起ころうとしているか、わたしは知らない。また知ろうとも思わない。……どこに打撃が加えられようとも、わたしは恐れない。木の葉一枚でも、神のみ心でなければ落ちないのだ。まして神は、われわれをどんなにみ心にとめておられることであろう。肉体をとって来られたみ言葉イエスご自身が亡くなられたのであるから、み言葉のために死ぬことは何でもない。もしわれわれが彼と共に死ぬならば、彼と共に生きるのである。そして、彼がわれわれに先立って通られたものをわれわれも通り、われわれは彼がおられるところへ行き、彼と共に永遠に住むのである」 GCJap 163.1

法王の教書がルターのところに到着した時に、彼は言った。「わたしはこれを、不敬で虚偽のものとして軽蔑し、排撃する。……ここで罪に定められているのは、キリストご自身である。……わたしは、最大の事業のためにこのような苦難にあうことを喜びとする。わたしはすでに、心の中に大きな自由を感じている。なぜなら、わたしはついに、法王が反キリストであって、彼の座はサタン自身の座であることを知ったからである」 GCJap 163.2