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法王使節による攻撃 GCJap 170

ルターが議会に姿をあらわすという知らせがウォルムスに伝わると、各方面で大騒ぎとなった。今回の事件を特に委任されていた法王使節アレアンダー(アレアンドロ)は、驚き、憤激した。彼は、その結果が、法王側にとっては破滅的であるのを認めた。法王がすでに宣告を下した件について取り調べを始めることは、法王の権威を軽蔑することであった。そればかりでなく、彼は、ルターの雄弁で強力な議論によって、諸侯たちの多くが法王側から引き離されることを懸念した。それゆえに、彼は、ルターがウォルムスに来ないように、激しくカールに諫言した。このころ、ルターの破門を宣言した教書が公布された。使節の申し入れとともに、この教書は、皇帝を屈服させた。皇帝は選挙侯に、もしルターが取り消さないならば、彼はウィッテンベルクにとどまっているべきであると書き送った。 GCJap 170.1

アレアンダーは、この勝利で満足せず、ルターを罪に定めるために、ありとあらゆる権力と策略を用いた。彼は、非常なしつこさで、諸侯や高位聖職者、そしてその他の議員たちの注意をこの問題に引き、ルターに、「扇動、反逆、不敬、冒瀆」の罪をきせた。しかし、法王使節のあらわした激しい感情は、彼がどんな精神に動かされているかをあまりにも明らかにした。「彼は、熱意と敬神というよりは、憎しみと復讐の念に動かされている」と一般の人々は言った。議会の大部分の人々は、これまでになくルターに好意を示した。 GCJap 170.2

アレアンダーは、ますます熱心に、法王の布告を実行すべきことを皇帝に迫った。しかし、ドイツの法律によれば、これは諸侯たちの同意を得ずにすることができなかった。そこでカールは、法王使節のしつこい要求に負けて、彼にその件を議会に提出することを命じた。「それは法王使節にとって誇らしい日であった。 GCJap 170.3

大会衆が集まっていたが、事件はさらに重大なものであった。アレアンダーは、すべての教会の母であり女主人であるローマのために、訴えるのであった」。彼は、集まったキリスト教諸国の前で、ペテロの首位権を擁護するのであった。「彼は雄弁の才を持っていた。そして、この重大な時機に立ちいたった。ローマが罪に定められるに先立って、荘厳きわまる法廷において、ローマの第一流の雄弁家があらわれて訴えることは、神の摂理であった」。ルターに好感を持っていた人々は、アレアンダーの演説の結果にいくぶんか不安を抱いた。ザクセンの選挙侯は出席していなかったが、顧問官たちに命じて出席させ、法王使節の演説を筆記させた。 GCJap 171.1

アレアンダーは、学識と雄弁のかぎりをもって、真理をくつがえそうとした。彼はルターを、教会と国家の敵、また、生ける者と死せる者との、聖職者と信徒との、公会議と個々のキリスト者との、敵であると告発し続けた。「ルターの誤りは、一〇万の異端者」を焼くに匹敵するものであると彼は宣言した。 GCJap 171.2

最後に彼は、改革主義の信仰を支持する人々を軽蔑しようとした。 GCJap 171.3

「これらルター派とは、いったい何であろうか。彼らは無礼な教師、腐敗した司祭、自堕落な修道士、無知な弁護士、堕落した貴族といった連中と、彼らが誤らせ、邪道に導いたところの民衆である。彼らに比べてカトリックの側は、その数、能力、権力において、なんと優れていることであろう。この華々しい会議における満場一致の布告は、愚かな者の目を開き、軽率な者に警告を与え、迷っている者に決心を与え、弱い者に力を与える」 GCJap 171.4

各時代における真理の擁護者たちは、こうした武器によって攻撃されてきたのである。確立された誤りに反対して、神のみ言葉の明白で直接的な教訓をあえて提示する者はみな、今でも同じ議論に迫られる。「こ GCJap 171.5

れらの新しい教義の説教者たちは、いったいだれであるか」と、受けのよい宗教を望む人々は叫ぶ。「彼らは、無学で少数の貧民階級である。それだのに彼らは、自分たちは真理を持ち、神の選民であると主張する。彼らは、無知で欺かれているのだ。われわれの教会は、数においても、勢力においても、なんとはるかに優れていることであろう。われわれの中には、なんと多くの偉人や学者がいることであろう。われわれの側には、なんと大きな力があることだろう」。このような議論は、世界に対して効果的な影響力を持っている。しかしそれは、ルターの時代におけると同様に、今日においても、決定的な議論ではないのである。 GCJap 172.1

宗教改革は、多くの者が考えているように、ルターの時代をもって終わったのではない。それはこの世界の歴史の終末まで続くのである。ルターは、神が彼の上に照らしてくださった光を他に反映して、大事業をしなければならなかった。しかし彼は、世界に与えられるはずの光を、全部受けたのではなかった。その当時から今に至るまで、新しい光が絶えず聖書を照らし、新しい真理が常にあらわされてきたのである。 GCJap 172.2