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患難から栄光へ

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    第二七章   エペソでのめざましい働き

    本章は使徒行伝第一九章一節-二〇節に基づくAAJ 304.1

    アポロがコリントで教えを説いていたとき、パウロはエペソに戻るという約束を果たした。彼は短期間、エルサレムを訪問し、それから彼の初期の働き場であったアンテオケにしばらく滞在した。そのあと、小アジアの「ガラテヤおよびフルギヤの地方を」歴訪し、彼が建てた教会を尋ねて信者たちの信仰を強めた(使徒行伝一八ノ二三)。AAJ 304.2

    使徒たちの時代に、小アジアの西部はローマ帝国のアジア州として知られていた。首都エペソは商業の一大中心地であった。港は船舶で混み合い、通りは各地から来る人々でごった返していた。コリントと同様に、エペソも伝道のためには有望な地であった。AAJ 304.3

    今やすべての文明化された地方へと散らされたユダヤ人は、一般にメシヤの来臨を期待していた。バプテスマのヨハネが説教をしていたとき、年ごとの祭りでエルサレムにやってきていた多くの人々が、 ヨルダン川の岸に行って彼の話に耳を傾けた。そこで彼らはイエスが約束のメシヤであると言われるのを聞き、世界各地にこのおとずれを携えていったのである。こうして神のみ摂理により、使徒たちの働きのための道が備えられていた。AAJ 304.4

    エペソへ到着してすぐ、パウロは、アポロのようにバプテスマのヨハネの弟子であった十二人の兄弟たちを見つけた。彼らもアポロのように、キリストの使命についてある程度の知識を持っていた。彼らにはアポロのような能力はなかったが、彼と同じ誠実な信仰をもって、彼らが受けていた知識をひろめようとしていた。AAJ 305.1

    この兄弟たちは、聖霊の働きについて何も知らなかった。彼らは、聖霊を受けたかとパウロに聞かれると、「いいえ、聖霊なるものがあることさえ、聞いたことがありません」と答えた。「では、だれの名によってバプテスマを受けたのか」と彼がきくと、「ヨハネの名によるバプテスマを受けました」という答えであった。AAJ 305.2

    そこでパウロは、クリスチャンの希望の基礎である偉大な真理を彼らに伝えた。彼はこの地上におけるキリストのご生涯のことや、残酷な恥辱の死について彼らに語った。また、いのちの主が死の障壁を打ち破り、死に勝利してよみがえられたことを教えた。彼は救い主が弟子たちにゆだねられたことを繰り返した、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施」 せ(マタイ二八ノ一八、一九)。彼はまた、助け主を送るというキリストのみ約束についても彼らに教えた。その助け主の力により、力強いしるしと不思議が行われるのであった。そして彼は、このみ約束が、ペンテコステの日にいかに輝かしく成就したかを述べた。AAJ 305.3

    深い関心と、感謝と驚きに満ちたよろこびをもって、兄弟たちはパウロの言葉に聞き入った。彼らは信仰により、キリストのあがないの犠牲というすばらしい真理を把握はあくし、自分たちのあがない主としてキリストを受け入れた。それから彼らは、イエスの名によるバプテスマを受けた。そして、パウロが「彼らの上に手をおく」と、彼らは聖霊のバプテスマをも受け、それによって、ほかの国のことばを話したり、預言したりすることができるようになった。こうして彼らは、エペソやその近辺、更に小アジアに福音を宣べ伝えに出て行く宣教師としての資格を与えられた。AAJ 306.1

    これらの人々が、こうした経験を得て働き人として収穫の野に出て行くことができるようになったのは、謙遜で、素直な精神を持っていたからである。彼らの実例は、クリスチャンに非常に価値のある教訓を与えている。あまりにもうぬぼれが強いために学ぶ者となることができず、信仰生活においてほとんど進歩しない人々がたくさんいる。彼らは神のみことばの、上すべりの知識で満足している。彼らは自分たちの信仰や行いを変えたいとは思わず、より大いなる光を受けるための努力もしない。AAJ 306.2

    キリストに従う者たちが、知恵を熱心に追い求めるならば、彼らはそれまで全く知らなかった広大な真理の野へと導かれるであろう。自分自身のすべてを神にささげている者は、神のみ手によって導かれ る。彼は身分は低く、一見何の才能もないように見えるかもしれない。しかし、もし愛と信頼の心で神のみこころの示しに従うならば、彼の能力はきよめられ、高尚にされ、活気づけられる。そして彼の可能性が伸ばされるのである。天来の知恵に関する教えを大事にするとき、神聖な任務が彼にゆだねられる。彼は自分の生涯を、神をあがめ、この世の祝福となるものとすることができる。「み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます」(詩篇一一九ノ一三〇)。AAJ 306.3

    今日も、エペソの信者たちのように、聖霊が心に働きかけることを知らない人々が大ぜいいるが、神のみことばの中でこれほど明瞭に教えられている真理はない。預言者たちや使徒たちはこのことについてくわしく述べている。キリストご自身が、霊的生命を支える聖霊の働きについての例解として、植物の成長にわれわれの注意を促しておられる。ぶどうの樹液は、根から上って行き、枝に行きわたり、成長を支えて、花や実を結ばせる。それと同じように、聖霊のいのちを支える力は、救い主から生じて、魂に浸透し、動機や感情を新たにし、思いすらも神のみこころに従わせるようにして、清い行為という尊い実を結ばせてくれるのである。AAJ 307.1

    この霊的生命の創造者は目に見えず、その生命が分かち与えられさずけられる正確な方法は、人間の思索力では説明できない。しかし、聖霊の働きは書かれたみことばに常に一致する。霊的世界は、自然界と同様である。肉体の生命は、一瞬一瞬神の力によって保たれている。しかもそれは、直接の奇跡によって支えられるのではなくて、われわれの手の届くところに置かれている祝福を用いることによって、 支えられるのである。同様に、霊的な生命も、神のみ摂理によって備えられている方法を用いることによって支えられる。もしキリストに従う者が「全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで」(エペソ四ノ一三)成長しようとするならば、彼はいのちのパンを食べ、救いの水を飲まなければならない。彼はすべての事において、みことばの中に示された神の指示を心に留め、注意し、祈り、働かねばならない。AAJ 307.2

    これらユダヤ人改宗者の経験の中には、われわれにとってさらにもう一つの教訓がある。ヨハネの手でバプテスマを受けたとき、彼らは罪を負うかたとしてのイエスの使命を完全には理解していなかった。彼らは重大な思いちがいをしていた。しかしもっと明るい光がのぞんだとき、彼らはよろこんでキリストをあがない主として受け入れた。この進歩とともに、彼らの責任も変わってきた。彼らが一層純粋な信仰を受け入れたとき、彼らの生活はそれに応じて変化した。この変化のしるしとして、またキリストに対する信仰の表明として、彼らはイエスの名によってバプテスマを受けなおしたのであった。AAJ 308.1

    いつものように、パウロはエペソでもユダヤ人の会堂で説教することから働きを始めた。彼はそこで三か月のあいだ働き続け、「大胆に神の国について論じ、また勧めをした」。最初は好意をもって受け入れられたが、しかし他の伝道地の場合と同様に、彼はすぐさま激しい反対に会った。「ある人たちは心をかたくなにして、信じようとせず、会衆の前でこの道をあしざまに言った」。彼らが福音を拒み続けたので、パウロは会堂での説教をやめた。AAJ 308.2

    パウロが同国人のために働いているとき、神のみ霊は彼とともに、彼を通して働いていた。真理を知りたいとまじめに望んでいるすべての人々に、確信を与えるのに十分な証拠が示されていた。しかし多くの人々は、自らを偏見と不信に支配されるがままにまかせて、最も確実な証拠に従うことを拒んだ。真理の反対者たちとこのまま交わりを続けていれば、信徒の信仰が危うくなるのではないかと恐れて、パウロは彼らを離れ、弟子たちを別個の群れとして集め、かなり著名な教師、ツラノの講堂で公開の説教を続けた。AAJ 309.1

    「敵対する者も多」くいたが、自分の前に「有力な働きの門」が開かれているのをパウロは知った。(コリント第一・一六ノ九)。エペソはアジアの諸都市の中で、最も壮麗だったばかりでなく、最も堕落していた。迷信や官能的快楽が、人口の多いこの都市を支配していた。神殿のかげに、あらゆる種類の犯罪者がひそみ、最も堕落的な悪徳が栄えていた。AAJ 309.2

    エペソはアルテミス礼拝の有名な中心地であった。「エペソ人のアルテミス」の壮麗な神殿の名声は、アジア全土にまた全世界に行きわたっていた。神殿はその比類のない美しさのために、市ばかりでなくまた国の誇りであった。神殿の内部の偶像は、天から下ってきたと伝説に言われていた。その像に象徴的な字がきざまれていて、それには偉大な力があると信じられていた。これらの象徴の意味と用法を説明するために、エペソ人はいろいろの本を書いていた。AAJ 309.3

    こうした高価な本を念入りに研究していた人々の中に、多くの魔術師たちがいて、彼らは、神殿の中 の像を迷信的に拝んでいる人々の心に、強力な影響を及ぼしていた。AAJ 309.4

    使徒パウロは、エペソでの働きにおいて、神の恵みの特別なしるしを与えられた。彼の伝道には神の力が伴い、多くの者が肉体の病弊からいやされた。「神は、パウロの手によって、異常な力あるわざを次々になされた。たとえば、人々が、彼の身につけている手ぬぐいや前掛けを取って病人にあてると、その病気が除かれ、悪霊が出て行くのであった。」こうした超自然の力のあらわれは、それまでエペソで見られたものよりもずっと強力であって、手品師の技術や魔術師の魔法などではまねのできない性格のものであった。これらの奇跡はナザレのイエスの名によって行われたので、人々は天の神が、アルテミス女神を拝んでいる魔術師たちよりももっと力あるおかたであることを知る機会が与えられた。こうして主は、偶像礼拝者たち自身の目の前で、最も有力で人気ある魔術師たちより測り知れないほど高く、神のしもベを高められた。AAJ 310.1

    悪の霊をすベて従わせ、ご自分のしもべたちに、悪霊に打ち勝つ権威をお与えになった神は、神の聖なるみ名を軽べつし汚す者たちに、更に大きな恥と敗北をもたらそうとしておられた。魔術はモーセの律法により、死刑をもって禁じられていたが、しかし時々、背信したユダヤ人によりひそかに行われていた。パウロがエペソを訪問したとき、この都市には「ユダヤ人のまじない師で、遍歴している者たちが」おり、パウロが不思議なわざを行うのを見て、試しに「悪霊につかれている者にむかって、主イエスの名をとなえ」た。「ユダヤの祭司長スケワという者の七人のむすごたちも」そんなことをしていた。悪 霊につかれている人を見つけて、彼らは「パウロの宣べ伝えているイエスによって命じる」と言った。しかし「悪霊がこれに対して言った、『イエスなら自分は知っている。パウロもわかっている。だが、おまえたちは、いったい何者だ』。そして、悪霊につかれている人が、彼らに飛びかかり、みんなを押えつけて負かしたので、彼らは傷を負ったまま裸になって、その家を逃げ出した」。AAJ 310.2

    このようにして、キリストのみ名の神聖さと、救い主の宣教が神よりのものであることを信じないでこの名をとなえる危険について、間違えようのない証拠が与えられた。「みんな恐怖に襲われ、そして、主イエスの名があがめられた。」AAJ 311.1

    これまで隠されていた事実が、いまや明るみに出された。キリスト教を受け入れるにあたって、信者たちの中には迷信を完全に捨てきれない人々がいた。彼らはある程度まだ魔術をつづけていた。今、彼らは自分たちの過ちに気がつき、「信者になった者が大ぜいきて、自分の行為を打ちあけて告白した」。魔術師たち自身の中にもよい働きがひろがり、「魔術を行っていた多くの者が、魔術の本を持ち出してきては、みんなの前で焼き捨てた。その値段を総計したところ、銀五万にも上ることがわかった。このようにして、主の言はますます盛んにひろまり、また力を増し加えていった」。AAJ 311.2

    エペソの改宗者たちは、魔術に関する本を焼くことによって、かつては自分たちがよろこんでいたものが、今は嫌悪すべきものになったことを示した。彼らはこれまで、魔術を行うことによって特に神を怒らせ、おのれの魂を危険に陥れていた。そうした魔術に対して、彼らはそのような憤りを示したので あった。こうして彼らは真の回心の証拠を示した。AAJ 311.3

    これらの占いの書物には、悪霊とのまじわりの規則と方式が書かれていた。それはサタンの礼拝の規則、すなわち、サタンの助けを求め、サタンから知識を得るための手引きであった。こうした本を手元に置いておけば、弟子たちは自分たちを誘惑にさらすことになったであろう。また、それらを売れば、ほかの人たちに誘惑となったであろう。弟子たちはやみの王国を拒絶し、その勢力を滅ぼすためには、どんな犠牲を払うこともためらわなかった。こうして真理は、人間の偏見と金銭欲とに勝利した。AAJ 312.1

    キリストの力がこのようにあらわれたことによって、迷信の本拠地において、キリスト教は大いなる勝利を得た。この事件は、パウロさえ悟らなかったほどの広はんな影響を及ぼした。エペソからこの事件が広く伝えられて、キリストのための働きは力強く促進された。使徒パウロが、人生の旅路を終えてからずっとのちまでも、これらの光景は人々の記憶に残り、人々を福音へと改心させる手段となった。AAJ 312.2

    異教の迷信は二十世紀の文明以前に消えてしまったと、愚かにも考えられている。しかし、神のみことばと、事実の断固とした証拠は、昔の魔術師の時代と全く同じように現代においても、魔術が行われていることを言明している。古代の魔術の方法は、実際は、現代の心霊術として知られているものと同じである。サタンは死別した友人たちを装って現れ、幾千もの人々の心に近づく。「死者は何事をも知らない」と聖書は、はっきり述べている(伝道の書九ノ五)。死者の思い、愛、憎しみは消えうせている。死者は生きている者たちと交わりを持たない。しかし、初めから狡猾こうかつなサタンは、人々の心を支配 するために、この策略を用いるのである。AAJ 312.3

    心霊術によって、多くの病人や遺族や好奇心の強い人々が、悪霊と交わっている。これをあえて行う者はみな危険な場所にいる。真理のみことばは、神が彼らをどう見ておられるか述べている。昔、神は、使者をつかわして異教のお告げに相談を求めた王に、厳しい審判をお下しになった。「『あなたがたがエクロンの神バアル・ゼブブに尋ねようとして行くのは、イスラエルに神がないためか』。それゆえ主はこう仰せられる、『あなたは、登った寝台から降りることなく、必ず死ぬであろう』」(列王紀下一ノ三、四)。AAJ 313.1

    今日の降神術の霊媒、透視者、占い師たちは、異教の時代の魔術師たちに当たる。エンドルやエペソで語った神秘的な声は、今もなお、その偽りの言葉で人の子らを惑わしている。われわれの目からおおいが取り去られるならば、悪天使たちが人類を欺き滅ぼすために、あらゆる手段を用いているのが見えるであろう。人間に神を忘れさせるような力が働いているところではどこでも、サタンがその魔力を働かせているのである。サタンの力に従うとき、知らないうちに、心は迷わされ、魂は汚される。今日の神の民らは、エペソの教会に与えられたパウロの訓戒を、心にとめねばならない。「実を結ばないやみのわざに加わらないで、むしろ、それを指摘してやりなさい」(エペソ五ノ一一)。AAJ 313.2

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