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各時代の大争闘

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    聖書の普及と法王教の打破

    あらゆる階級の人々が、聖書を手にして、宗教改革の教義を擁護するのが見られた。聖書の研究を司祭や修道士にゆだねていた法王教徒たちは、彼らが出てきて新しい教義に反論することを要求した。しかし、聖書にも神の力にも無知であった司祭や修道士たちは、GCJap 224.5

    彼らが無知だ異端だと弾劾していた人々によって、完全に打ち負かされてしまった。「あいにくとルターは、聖書以外のどんな神託も信じてはならないと、彼の支持者たちに信じ込ませてしまった」とあるカトリックの著者は言った。無学な人々が真理を擁護し、また、学識ある雄弁な神学者と彼らが討論するのを、群衆が集まって聞くのであった。これらの大家たちは、その議論が神のみ言葉の単純な教えによって反論されて、無知の恥を暴露した。労働者、兵卒、婦人、そして子供たちでさえ、司祭や学識のある博士たちよりも、聖書の教えをよく知っていたのである。GCJap 225.1

    福音を信じる者と法王教の迷信を信じる者との対照は、知識階級のみならず一般の人々の目にも明らかであった。「語学の研究と文学の素養をなおざりにしてきた法王側の老戦士たちに対して、……広い心をもった青年たちが、研究に没頭し、聖書を調べ、古代の傑作に親しんでいた。GCJap 225.2

    活発な頭脳、高貴な魂、そして勇敢な心を持ったこれらの青年たちは、やがて、長い間にわたってだれにもひけを取らない知識の持ち主になった。……したがって、これらの若い改革擁護者たちは、どのような会合において法王側の博士たちと相対しても、非常なゆとりと確信をもって彼らを攻撃するので、無知な彼らはうろたえ、当惑し、衆人の前で恥をかくのであった」GCJap 225.3

    ローマ側の司祭たちは、自分たちの会衆が減少するのを見て当局の援助を求め、自分たちも全力をあげて聴衆を引き戻そうと努めた。しかし人々は、新しい教えの中に彼らの魂の必要を満たすものを見いだした。そして、長い間迷信的な儀式と人間の伝説という無価値な豆がらを与えてきた者からは、顔をそむけて離れていった。GCJap 225.4

    真理の教師たちに迫害の火の手があがった時、彼らは、「一つの町で迫害されたなら、他の町へ逃げなさい」というキリストの言葉に従った(マタイ10章23節)。GCJap 225.5

    光は、至るところに照り輝いた。逃亡者たちは、どこかで彼らを迎えてくれる家を見つけ、そこに泊まって、ある時は教会で、またそれが許されなければ個人の家、または戸外で、キリストを説教したのである。どこであろうと聴衆がありさえすれば、そこは彼らにとって聖い神殿であった。このような活気と確信のもとに宣言された真理は、破竹の勢いで広まった。GCJap 226.1

    教会当局と政府当局の両方が異端を撲滅しようとしたが、無駄であった。投獄、拷問、火刑、剣を用いても無駄であった。幾千という信者が殉教したが、働きは前進していった。迫害は、真理の進展を促すだけであった。そして、サタンがそれと合流させようと努めた狂信も、サタンの働きと神の働きの区別をいよいよ明らかにする結果に終わったのである。GCJap 226.2

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