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第12章 — キリストの弟子たち GCJ 48

はりつけにされたが、復活した救い主のことを弟子たちは力強く説いた。 彼らは病人をいやし、生まれつき足の不自由な人まで完全に治してあげた。 彼は皆の前で歩いたり、飛び跳ねたり、神様を賞賛したりして、弟子たちと一緒に神殿に入った。 その知らせが広まると人々は弟子たちの周りに押し寄せ始めた。 多くの人が駆け集まり、いやされた事に対して驚いて、不思議に思った。 GCJ 48.1

イエスが死ぬと祭司長たちは、これで奇跡はなくなり、大騒ぎも消滅して、人々は再び人間の習わしに戻るだろう、と思った。 しかし、見よ! 彼らのただ中に、弟子たちは奇跡を起こして、皆が驚きのあまりぼう然と彼らを見つめていた。 イエスははりつけにされたので、弟子たちはどこからこの力を手に入れたのか。 イエスがまだ生きている間、自分の弟子たちに力を与えたと彼らは思っていたので、イエスが死ぬと自然に奇跡も消えるだろうと考えていた。 そこでペテロは、彼らが戸惑っているのを知って、「イスラエルの人たちよ、なぜこの事を不思議に思うのか。 また、私たちが自分の力や信心で、あの人を歩かせたかのように、なぜ私たちを見つめているのか。 アブラハム、イサク、ヤコブの神、私たちの先祖の神は、そのしもべイエスに栄光を賜ったのであるが、あなたがたは、このイエスを引き渡し、ピラトがゆるすことに決めていたのに、それを彼の面前で拒んだ。 あなたがたは、この聖なる正しいかたを拒んで、人殺しの男をゆるすように要求し、いのちの君を殺してしまった。 しかし、神はこのイエスを死の中から、よみがえらせた。 私たちは、その事の証人である」と言った。 生まれつき足の不自由な人を完全に治したのはイエスに対する信仰である、とペテロが彼らに言った。 GCJ 48.2

祭司長たちや長老たちがこの言葉に耐えられなかったので、弟子たちを捕まえ、監禁しておいた。 しかし、弟子たちの話をたった一度聞いただけで何千人もの人がイエスの復活と昇天を信じ、改宗した。 祭司長たちや長老たちは悩んでいた。 人々の思いを自分たちの方に向かせるためにイエスを殺したが、事態は以前より悪くなってっきてしまった。 「神様の息子の殺害者」として弟子たちに公然と訴えられ、この事がどこまで発展するのか、そして人々にどう思われるのか予想できなかった。 喜んで弟子たちを殺したかったが、群集に石打されるのでは、と怖がっていた。 そこで弟子たちを呼び出し、会議場に連れて来させた。 正しい者の血を渇望していた人たち、正に同じ人たちが会議場に居た。 ペテロが「イエスの弟子の一人」として訴えられた時に、卑怯にも悪口とののしりを掛けて否定したことを彼らは聞いていた。 ここでペテロを脅かそうとしたが、彼はもう改心した。 こうしてペテロにイエスを褒めたたえるチャンスが与えられた。 前に一度イエスを否定したが、ここでその軽率で、卑怯な否定の汚点を消して、否定していた名前に敬意を表す事ができる。 臆病な恐れは今やペテロの胸には無かった。 ペテロが聖なる勇気と聖霊の力で大胆に、「この人が元気になって皆の前に立っているのは、ひとえに、あなたがたが十字架につけて殺したのを、神が死人の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのである。 このイエスこそは『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』なのである。 この人による以外に救いはない。 私たちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」と断言した。 GCJ 49.1

人々はペテロとヨハネの大胆ぶりに驚いた。 二人の高貴で大胆な振る舞いが人殺しに迫害された時のイエスの振る舞いによく似ていたので、二人とも「イエスと一緒にいた者」と皆に認められた。 以前イエスを否定した時、イエスに悲哀に満ちた顔付きでペテロは叱られたが、この時大胆に主を認めたのでイエスに認められ、祝福された。 そしてイエスに認められたしるしとして、ペテロは聖霊に満たされた。 GCJ 49.2

祭司長たちには弟子たちに対する憎しみを表すほどの勇気はなかった。 その二人を会議場から出るように命じ、内輪で話し合った。 「あの人たちをどうしたらよかろうか。 彼らによって著しいしるしが行われたことは、エルサ レムの住民全体に知れわたっているので、否定しようもない。」 彼らはこういった良い働きの広まりを恐れた。 広まったら、自分たちの権力は失われ、イエスの殺害者と見なされる。 あまり勇気がなかったから二人にただ、死にたくないならイエスの名前によって話すな、と命じ、脅した。 しかしペテロは、自分たちの見た事や聞いた事を告げるしかない、と大胆に言った。 GCJ 49.3

病気で苦しめられた人々が連れて来られると、弟子たちは皆をイエスの名前でいやし続けた。 祭司たちや長老たち、それに彼らと深く関わりがあった人たちは不安に陥った。 はりつけにされたが、復活して、昇天した救い主の旗印の下には、毎日何百人もの人が参加していた。 彼らがこの大騒ぎを鎮めようと使徒たちを牢獄に閉じ込めた。 そこでサタンは勝ち誇って、悪天使たちも大変喜んだ。 しかし、神様の天使たちは送られ、獄のドアを開け、大祭司や長老たちの命令に反して、「神殿に入って、命の言葉を一つ残らず告げなさい」と使徒たちに命じた。 会議員が集まり、警官を送って、囚人を引き出して来させようとした。 しかし、警官が獄のドアを開けて見ると、引き出しに来た囚人はそこに居なかった。 彼らは祭司たちや長老たちのところに戻って、「獄には、しっかりと錠がかけてあり、戸口には、番人が立っていました。 ところが、あけて見たら、中にはだれもいませんでした」と告げた。 そしてある人が入って、「行ってごらんなさい。 あなたがたが獄に入れたあの人たちが、宮の庭に立って、民衆を教えています」と知らせた。 それで警官の長が警官たちと一緒に行って、群集に石打される事を恐れたので、手荒なことはせずに彼らを連れて戻った。 彼らを連れ戻した後、議会員の前に立たせた。 そして大祭司が、「あの名を使って教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。 それだのに、なんという事だ。 エルサレム中にあなたがたの教えをはんらんさせている。 あなたがたは確かに、あの人の血の責任を私たちに負わせようと、たくらんでいるのだ」と使徒たちに言った。 GCJ 50.1

彼らは神様を愛するより、人間に誉められるのを好む偽善者だった。 良心が麻痺していたので使徒たちの一番素晴らしい出来事に対してただ激怒した。 弟子たちがイエスのはりつけや復活、そして昇天のことを説くなら、自分たちは「犯人」と決められ、イエスの殺害者である事が明らかになると分かった。 彼らが以前、「その血の責任は、我々と我々の子孫の上にかかっ てもよい」と激しく叫んだ時ほどは、イエスの血の責任を負う気はなかった。 GCJ 50.2

使徒たちは大胆に、「人間に従うよりは、神に従うべきである」と断言した。 そこでペテロが言った、「私たちの先祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスをよみがえらせ、そして、イスラエルを悔い改めさせてこれに罪のゆるしを与えるために、このイエスを王子とし、救い主として、ご自身の右に上げられたのである。 私たちはこれらのことの証人である。 神がご自身に従う者に賜った聖霊もまた、その証人である」。 人殺しはそれを聞いて激怒した。 再び自分たちの手を血で染め、使徒を殺したかった。 その計画を練っている間天使が神様からガマリエルに送られ、彼が祭司長や指導者たちに良い忠告ができるよう心に働きかけた。 そこでガマリエルが、「あの人たちから手を引いて、そのなすままにしておきなさい。 その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。 しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできない。 まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」と言った。 悪天使たちは祭司たちや長老たちを唆して、使徒たちを殺させようとしたが、その計画をけん制するため天使が神様から送られ、彼らのうちから弟子たちを支持する者を引き起こした。 GCJ 51.1

使徒たちの働きはまだ終わっていなかった。 彼らはまだ王たちの前に立たされ、イエスの名前を証しして、見た事や聞いた事を証言しなければならない。 でも祭司長たちや長老たちは使徒たちを釈放する前に彼らをむち打って、「イエスの名によって語ってはならない」と命じた。 そこで彼らは、神様の愛しい名前のために苦しむに値する者とされた事を喜びながら、議会から出て行った。 そして彼らは神殿や、すべての招かれた家々で説教して、与えられた天職を続けた。 神様の言葉が広まり、増えた。 祭司長たちや長老たちはサタンに唆され、ローマの番人たちにお金を渡して、「寝ている間に弟子たちが来て、イエスの遺体を盗んだ」という虚偽の証言を言わせた。 このうそで本当の事を隠そうとしたが、見よ、イエスの復活の証拠は雨後の竹の子のようにあちこち現れているではないか! 弟子たちはイエスの復活を大胆に宣言し、見た事や聞いた事を証言して、イエスの名前を通して素晴らしい奇跡を起こした。 神様の息子に対して思うままに扱う事が許された時イエスの血を切に求めた人たちの上に、弟子たちが大胆にもその血の責任を負わせた。 GCJ 51.2

神様の天使たちには各時代に渡って、イエスの信者の信仰を支える大事な聖なる真理を守る特別な仕事が託されているのを私は見た。 GCJ 52.1

イスラエルの望みになる大事な真実の出来事、つまり、イエスのはりつけ、復活や昇天を目撃した使徒たちの上に聖霊が特別に降りて来た。 人間は皆、唯一の望みとして世の救い主に頼り、イエスが自ら命を犠牲にした事で開いてくれた道を歩み、そして神様の戒めを守って生きるべきである。 イエスがユダヤ人に嫌われ、殺された原因となった働きと同じ働きをするためにイエスは弟子たちに力を与えた。 ここに私はイエスの知恵と善さを見た。 彼らにサタンの働きに勝る権力が与えられた。 軽蔑され、悪い人の手によって殺されたイエスの名前を通して、彼らはしるしや不思議な事をした。 イエスの死と復活の前後に栄光や光が集中している事は、イエスが世の救い主である聖なる事実を永久に物語っている。 GCJ 52.2

使徒行伝3-5章を参照