本章は使徒行伝27章、28:1~10に基づく AA 1523.1
ついに、パウロはローマへ向かった。「さて、わたしたちが、舟でイタリヤに行くことが決まった時、パウロとそのほか数人の囚人とは、近衛隊の百卒長ユリアスに託された。そしてわたしたちは、アジヤ沿岸の各所に寄港することになっているアドラミテオの舟に乗り込んで、出帆した。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した」。 AA 1523.2
紀元1世紀には、海の旅には特別な困難と危険がつきものだった。船員たちは一般に太陽と星の位置によって航路を定めた。だから太陽や星が出ていないで、あらしの兆候がある時には、船主たちは海へ出ることを恐れた。1年の一時期には、安全な航海はほとんど不可能であった。 AA 1523.3
使徒パウロはいま、イタリヤへの長い退屈な航海の間、鎖につながれた囚人として、彼の運命にふりかかる苦しい経験を耐え忍ばねばならないことになった。彼の運命の苦難をやわらげた1つの事は、ルカとアリスタルコと親しく交わることを許されたことであった。のちに彼は、コロサイ人への手紙の中に、アリスタルコについて「一緒に捕われの身となっている」と述べているが、彼は苦難の中にあるパウロに仕えるために、自ら進んでパウロと共に捕われの身になったのである(コロサイ4:10)。 AA 1523.4
航海は順調に始まった。翌日彼らはシドンの港にとどまった。ここで百卒長ユリアスは「パウロを親切に取り扱い」、そこにクリスチャンたちがいると聞かされると、パウロが「友人をおとずれてかんたいを受けることを、許した」。健康の弱っていた使徒パウロは、この許可を非常に感謝した。 AA 1523.5
シドンを出帆してすぐ、船は逆風に会い、目指す進路から押し流されて、なかなか進めなかった。ルキヤ地方のミラで、百卒長はイタリヤ沿岸へと向かうアレキサンドリヤの大きな船を見つけて、囚人たちをそれに乗りかえさせた。しかしなおも逆風が続いて、船は難航した。「幾日ものあいだ、舟の進みがおそくて、わたしたちは、かろうじてクニドの沖合にきたが、風がわたしたちの行く手をはばむので、サルモネの沖、クレテの島かげを航行し、その岸に沿って進み、かろうじて『良き港』と呼ばれる所に着いた」とルカは書いている。 AA 1523.6
彼らは、順風になるのを待つためにしばらくのあいだ「良き港」にとどまらざるを得なかった。冬がかけ足で近づいていた。「すでに航海が危険な季節になったので」、船の責任者たちは、航海に適した時季が終わる前に目的地に着くという望みを、あきらめなければならなかった。「良き港」にとどまるか、冬を過ごすにもっと好適な場所に行くかという問題だけを、今決定しなければならなかった。 AA 1523.7
この問題が熱心に論議されてから、最後に百卒長からパウロに伝えられた。パウロは既に水夫や兵士たちの尊敬を得ていたのである。使徒は、ここにとどまるようにと、ためらわずに忠告した。「わたしの見るところでは、この航海では、積荷や船体ばかりでなく、われわれの生命にも、危害と大きな損失が及ぶであろう」とパウロは言った。しかし「船長や船主」、それに乗客や船員の大多数はこの忠告に同意しなかった。彼らが投錨していた港は「冬を過ごすのに適しないので、大多数の者は、ここから出て、できればなんとかして、南西と北西とに面しているクレテのピニクス港に行って、そこで冬を過ごしたいと主張した」。 AA 1523.8
百卒長は大多数の意見に従うことに決めた。そこで、「南風が静かに吹いてきたので」、彼らは、すぐに目的の港に着くだろうと期待して、「良き港」から出航した。「すると間もなく……暴風が、島から吹きおろして」きて、「舟が流されて風に逆らうことができな」かった。 AA 1523.9
嵐に吹き流されて、船はクラウダという小島に近づいた。そして、そこに避難している間に、水夫たちは最悪の事態のために準備した。船が浸水した場合 の唯一の脱出手段に用いる救命ボートが引かれていたが、今にもたたきっけられてばらばらになりそうであった。彼らの最初の仕事はこの小舟を甲板に引き上げることであった。それから、船を補強して嵐に耐えるようにするために、できるかぎりの予防措置がなされた。小島の陰でほんのわずかの間、守られていたが、それも長くは続かず、すぐさま彼らは再び暴風の猛威にさらされた。 AA 1523.10
嵐は一晩中吹きすさび、用心したにもかかわらず、船は浸水した。「次の日に、人々は積荷を捨てはじめ」た。夜になっても、風は衰えなかった。嵐に打たれた船は、マストが折れ、帆が裂けて、荒れ狂う疾風の猛威であちこちへ振り回された。嵐に打たれて船がよろめき揺れるたびに、うなるような音を立てている柱やけたなどは、くだけてしまいそうであった。浸水はす早くひろがり、船客や船員たちはポンプにつききりで働いた。船の中の人々はみな一刻の休みすらなかった。「3日目には、船具までも、てずから投げすてた。幾日ものあいだ、太陽も星も見えず、暴風は激しく吹きすさぶので、わたしたちの助かる最後の望みもなくなった」とルカは書いている。 AA 1524.1
14日間、彼らは太陽も星もない空の下をただよった。使徒パウロは、自分自身肉体的に苦しみながらも、暗黒の時に望みの言葉を語り、危急のたびに助けの手をさしのべた。彼は信仰によって、無限の力であられる神のみ腕にすがり、心は神に支えられた。自分自身のために心配することはなかった。ローマでキリストの真理のあかしをするために、神が生かして下さることを知っていた。しかしパウロは、罪深く、堕落して、死の準備もできていない周囲のあわれな魂を切に思いやる気持ちになった。彼らの生命を助けてくださるように熱心に祈った時、彼の祈りがきかれたことを示された。 AA 1524.2
嵐が静まったので、パウロは甲板に立ち上がって言った。「『皆さん、あなたがたが、わたしの忠告を聞きいれて、クレテから出なかったら、このような危害や損失を被らなくてすんだはずであった。だが、この際、お勧めする。元気を出しなさい。舟が失われるだけで、あなたがたの中で生命を失うものは、ひとりもいないであろう。昨夜、わたしが仕え、また拝んでいる神からの御使が、わたしのそばに立って言った、「パウロよ、恐れるな。あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない。たしかに神は、あなたと同船の者を、ことごとくあなたに賜わっている」。だから、皆さん、元気を出しなさい。万事はわたしに告げられたとおりに成って行くと、わたしは、神かけて信じている。われわれは、どこかの島に打ちあげられるに相違ない』」。 AA 1524.3
この言葉に、再び希望がよみがえった。船客も船員も、茫然自失の状態から目がさめた。やるべきことはまだたくさんあった。全滅をまぬがれるためには各人が最善をつくさねばならなかった。 AA 1524.4
黒々とうねる大波に翻弄され続けて14日目の夜になった時、「真夜中ごろ」、水夫たちは砕ける波の音を聞いて、「どこかの陸地に近づいたように感じた。そこで、水の深さを測ってみたところ、20ひろであることがわかった。それから少し進んで、もう1度測ってみたら、15ひろであった。わたしたちが、万一暗礁に乗り上げては大変だと、人々は気づかって、ともから4つのいかりを投げおろし、夜の明けるのを待ちわびていた」とルカは書いている。 AA 1524.5
夜明けに、嵐の吹きすさぶ海岸線がぼんやり見えてきた。しかし、見なれた陸地の目じるしは何も見えなかった。前途の見通しは暗かったので、異教の水夫たちは、すっかり勇気を失い、「舟から逃げ出そうと思って、へさきからいかりを投げおろすと見せかけ」、すでに救命ボートをおろしていた。するとパウロは、彼らのさもしい計画を見破って、百卒長と兵士たちに、「あの人たちが、舟に残っていなければ、あなたがたは助からない」と言った。兵士たちはすぐに、「小舟の綱を断ち切って、その流れて行くままに任せた」。 AA 1524.6
最も危険な時がまだ待ちうけていた。使徒パウロは再び励ましの言葉を語り、水夫も船客も食事をするようにと勧めて言った、「あなたがたが食事もせずに、見張りを続けてから、何も食べないで、きようが 14日目に当る。だから、いま食事を取ることをお勧めする。それが、あなたがたを救うことになるのだから。たしかに髪の毛ひとすじでも、あなたがたの頭から失われることはないであろう」。 AA 1524.7
「彼はこう言って、パンを取り、みんなの前で神に感謝し、それをさいて食べはじめた」。すると、疲れはて、失望していた275人の者たちも、パウロがいなかったら自暴自棄になっていたであろうが、使徒パウロと一緒に食物を取りはじめた。「みんなの者は、じゅうぶんに食事をした後、穀物を海に投げすてて舟を軽くした」。 AA 1525.1
さて、すっかり夜が明けたが、彼らは自分たちがどこにいるのかさっぱりわからなかった。しかし、「砂浜のある入江が見えたので、できれば、それに舟を乗り入れようということになった。そこで、いかりを切り離して海に捨て、同時にかじの綱をゆるめ、風に前の帆をあげて、砂浜にむかって進んだ。ところが、潮流の流れ合う所に突き進んだため、舟を浅瀬に乗りあげてしまって、へさきがめり込んで動かなくなり、ともの方は激浪のためにこわされた」。 AA 1525.2
パウロと他の囚人たちは、こんどは難破より恐ろしい運命におびやかされた。兵士たちは、陸にあがる努力をしている問は、囚人たちを監視するのが不可能なことを知った。みんな自分の生命を救うことだけが精いっぱいであった。だがもし囚人のだれかが行方不明になれば、その責任を持っていた者たちは、罰として命を取られるのである。だから兵士たちは囚人たちを全部殺してしまいたいと思った。ローマの法律ではこの残虐なやり方が認められていた。この計画は、みんなが一様に恩義を受けていたパウロがいなかったら、即刻実行されていただろう。百卒長のユリアスは、パウロのおかげで船の全部の人たちの生命が助かったことをみとめ、その上、主が彼と共におられることを確信していたので、パウロに害を加えることを恐れた。そこで彼は、「泳げる者はまず海に飛び込んで陸に行き、その他の者は、板や舟の破片に乗って行くように命じた。こうして、全部の者が上陸して救われたのであった」。点呼してみると、欠けている者は1人もいなかった。 AA 1525.3
難破船に乗っていた者たちは、マルタ島の土地の人々に手厚くもてなされた。「降りしきる雨や寒さをしのぐために、火をたいてわたしたち一同をねぎらってくれた」とルカは書いている。パウロは、他の人々を慰めることに尽力した人々の中にいた。「ひとかかえの柴」をたばねて「火にくべたところ、熱気のためにまむしが出てきて、彼の手にかみついた」。これを見ていた人々は恐怖におそわれた。そして、彼の鎖を見て、パウロが囚人だとわかり、人々は互いに言った、「この人は、きっと人殺しに違いない。海からはのがれたが、ディケーの神様が彼を生かしてはおかないのだ」。ところがパウロはまむしを火の中に振り落として、なんの害も被らなかった。 AA 1525.4
人々はまむしの有毒性を知っていたので、パウロが今にも倒れて、苦しみだすだろうと見守っていた。「しかし、長い間うかがっていても、彼の身になんの変ったことも起らないのを見て、彼らは考えを変えて、『この人は神様だ』と言い出した」。 AA 1525.5
3か月のあいだ船の同乗者たちはマルタ島に滞在したが、パウロと彼の共労者たちはその間、幾度も機会を捕らえて福音を説いた。主はすばらしい方法で彼らに働きかけられた。パウロのために、難破船の同乗者たち全員が手厚くもてなされ、彼らの必要なものはみな支給されて、マルタを出発する時には、航海に必要なものがことごとく惜しみなく用意されたのである。この島に滞在中の主なでき事は、ルカによって次のように簡潔に述べられている。 AA 1525.6
「さて、その場所の近くに、島の首長、ポプリオという人の所有地があった。彼は、そこにわたしたちを招待して、3日のあいだ親切にもてなしてくれた。たまたま、ポプリオの父が赤痢をわずらい、高熱で床についていた。そこでパウロは、その人のところにはいって行って祈り、手を彼の上においていやしてやった。このことがあってから、ほかに病気をしている島の人たちが、ぞくぞくとやってきて、みないやされた。彼らはわたしたちを非常に尊敬し、出帆の時には、必要な品々を持ってきてくれた」。 AA 1525.7