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国と指導者

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    第47章大祭司ヨシュアと天使

    神殿の建設者たちが着々と工事を進めたことは、悪の軍勢を大いに当惑させ、驚かせた。サタンは神の民の前に、彼らの品性の不完全なことを示して、彼らを弱め、失望させようとさらに努力することにした。もし、罪を犯したために長い間苦しんだ人々に、もう1度神の戒めを無視するよう説き伏せることができるならば、彼らはふたたび罪の奴隷となるのであった。PK 603.2

    イスラエルはこの地上において、神の知識を保存するために選ばれていたので、特別にサタンの憎しみの的になった。サタンは彼らを滅ぼし去ろうとした。サタンは彼らが従順である間は、害を加えることはできなかった。そこで彼は、彼らを罪に誘うことに全力を注いだ。イスラエルはサタンの誘惑にまどわされて、神の律法を犯し、敵の餌食になるままに放置されたのである。PK 603.3

    彼らは捕虜としてバビロンに連れていかれたけれども、神は彼らをお棄てにならなかった。神は預言者たちを送って謎責と警告を与え、彼らにその罪を認めさせようとなさった。彼らが神の前にへりくだり、真に罪を悔いて神に立ち返る時に、神は彼らに励ましの言葉を送り、彼らを捕囚から救い出して、ふたたび神の恵みに浴させ、彼らを故国にもう1度確立させられるのであった。そして、今やこの回復の事業が開始され、イスラエルの残りの民がすでにユダヤに帰っているので、サタンは救いの計画を挫折させようと決意した。そしてこの目的に向かって、サタンは異教諸国に働きかけて、彼らを全滅させようとした。PK 603.4

    しかしこの危機において、主は「ねんごろな慰めの言葉をもって」、神の民を強められた(ゼカリヤ1:13)。主なる神は、サタンの働きとキリストの働きに関する印象的な実例を挙げて、神の民を責める者を撃破する仲保者キリストの力をお示しになった。PK 603.5

    預言者ゼカリヤは幻の中で、「大祭司ヨシュア」が「汚れた衣を着て」主のみ使いの前に立ち、苦しんでいる民のために、神の憐れみを乞い求めているのを見た(同3:1、3)。彼が神の約束の成就を嘆願している時に、サタンは大胆に立ち上がって彼に抵抗する。サタンは、イスラエルが神の恵みに回復されるべきでない理由として、彼らの罪を指摘するのである。サタンは彼らを自分の餌食であると主張し、彼の手に引き渡すことを要求する。PK 603.6

    大祭司はサタンの告発に対して、自分も自分の民も弁護することができない。大祭司は、イスラエルに罪がないとは主張しないのである。彼は民の罪を象徴している汚れた衣を着て、民の罪を彼が負っていることをあらわし、み使いの前に立って彼らの罪を告白し、その悔い改めと謙遜を指し示して罪を赦される贖い主の憐れみによりすがっているのである。彼は信仰をもって、神の約束の成就を願い求める。PK 603.7

    すると、罪人の救い主キリストご自身であるみ使いは、神の民の告発者を沈黙させて言われる。「サタンよ、主はあなたを責めるのだ。すなわちエルサレムを選んだ主はあなたを責めるのだ。これは火の中から取り出した燃えさしではないか」(ゼカリヤ3:2)。イスラエルは長い間、苦難の炉の中にいた。彼らはその罪のゆえに、サタンとその手下たちが彼らを滅ぼそうとして燃やした火の中で、ほとんど燃えつきそうになっていた。しかし今や、神が手を下して彼らを救い出されるのである。PK 603.8

    ヨシュアのとりなしが聞かれた時に、「彼の汚れた 衣を脱がせなさい」という命令が発せられる。そして、み使いはヨシュアに向かって、「見よ、わたしはあなたの罪を取り除いた。あなたに祭服を着せよう」と言った。「そこで清い帽子を頭にかぶらせ、衣を彼に:着せた」(同3:4、5)。彼自身の罪と彼の民の罪は赦された。イスラエルは「祭服」、彼らのものと認められたキリストの義を着せられた。ヨシュアの頭にかぶせられた帽子は祭司たちがかぶるもので、「主に聖なる者」と巨う印がついていた(出エジプト28:36)。それは、彼には前にどんな罪があったとしても、今は神の聖所の中で、神に奉仕する資格があることを示していた。PK 603.9

    今、み使いはヨシュアに言った。「万軍の主は、こう仰せられる、あなたがもし、わたしの道に歩み、わたしの務を守るならば、わたしの家をつかさどり、わたしの庭を守ることができる。わたしはまた、ここに立っている者どもの中に行き来することを得させる」(ゼカリヤ3:7)。彼がもし従順であるならば、彼は神殿とそのすべての務めの管理者、または支配者として尊敬されるのであった。彼はこの地上においてさえ、保護天使の間を歩くのであった。そして彼は、ついには神のみ座の回りの、栄化された群衆に加わるのであった。「大祭司ヨシュアよ、あなたも、あなたの前にすわっている同僚たちも聞きなさい。彼らはよいしるしとなるべき人々だからである。見よ、わたしはわたしのしもべなる枝を生じさせよう」(同3:8)。来たるべき救い主なる枝に、イスラエルの希望がかかっていた。ヨシュアとその民とが罪の赦しを受けたのは、来たるべき救い主に対する信仰によってであった。彼らはキリストを信じる信仰によって、神の恵みに回復されたのであった。もし彼らがキリストの功績によって神の道を歩み、神の務めを守るならば、彼らは「よいしるしとなるべき人々」となり、地の国々の中で天の神の選民として尊敬されるのであった。PK 604.1

    サタンがヨシュアとその民を責めたように、彼は各時代において、神の憐れみと恵みを求める人々を責めるのである。彼は「われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者」である(黙示録12:10)。悪の勢力から救い出され、その名が小羊の命の書に記録されるすべての魂のために、大争闘がくり返される。敵の徹底的抵抗を引き起こすことなしに、神の家族に加わる者は1入としていない。しかし、当時イスラエルの希望であり、彼らの高きやぐら、彼らの義と贖いであられたお方は、今日の教会の希望であられるのである。PK 604.2

    主を求める者に対するサタンの告発は、彼らが罪を犯したことに対する腹立たしさからではない。なぜならばサタンは、彼らが神の律法を犯すことによってのみ、彼らを打ち負かすことができることを知っているからである。彼の告発はただ、キリストに対する敵意に基づいている。PK 604.3

    イエスは救いの計画によって、人類に対するサタンの支配力をくじき、彼の権力下から人々を救い出しておられる。大反逆者がキリストの最高位の証拠を見る時に、彼のすべての憎しみと悪意とがかき立てられる。そして、残忍な力と策略を用いて、救いを受け入れた人々をイエスから奪い取ろうとする。サタンは人々に懐疑心を起こさせ、神に対する信頼を失わせて、彼らを神から引き離そうとする。サタンは律法を犯すように人々を誘惑しておいて、彼らを自分の捕虜であると主張し、彼らを自分から取り去る権利がキリストにあるのかと抗議する。PK 604.4

    サタンは人々が神に赦しと恵みを求めるならば、それが与えられることを知っている。であるから、サタンは彼らの前にその罪を示して、失望させようとする。彼は神に従おうとする者に対して、常に苦情を言う機会をねらっている。彼は、昌彼らの最善で最も満足すべき奉仕でさえも、腐敗したもののように見せようとする。彼は、最も狡猾で最も残酷な様々の策略によって、彼らを罪に定めようと努めるのである。PK 604.5

    人間は自分だけの力では、敵の告発に対処することができない。彼は罪に汚れた衣をまとって、罪を告白しながら、神の前に立っているのである。しかし、彼らの助け主であられるイエスが、悔い改めと信仰によってその魂を彼に委ねたすべての者のために、力ある嘆願をして下さる。イエスは彼らの訴えを述べ、 カルバリーでの大いなるいさおしによって、告発者を打ち破られるのである。神の律法に対するイエスの完全な服従が、天においても地においても、いっさいの権威を彼に与えた。そして彼は、罪深い人間のために憐れみと和解を、天の父にお求めになる。彼は神の民を責める者に向かって言われる。「サタンよ、主はあなたを責めるのだ。この人々は、わたしの血によって買い取った、火の中から取り出した燃えさしである」。そして信仰をもってイエスに信頼する者に、彼は「見よ、わたしはあなたの罪を取り除いた。あなたに祭服を着せよう」という確証をお与えになるのである(ゼカリヤ3:4)。PK 604.6

    キリストの義の衣を着たものは、みな彼の前に選ばれ、忠実で真実なものとして立つのである。サタンは彼らを、救い主の手から奪い去る力がない。キリストは、忍耐と信仰をもって保護を仰ぎ求める者が、1人でも敵の権力下に陥ることをお許しにならない。PK 605.1

    彼は次のように約束しておられる。「わたしの保護にたよって、わたしと和らぎをなせ、わたしと和らぎをなせ」(イザヤ27:5)。「あなたがもし、……わたしの務を守るならば、……ここに立っている者どもの中に行き来することを得させる」というヨシュアに与えられた約束は、すべての者に与えられている(ゼカリヤ3:7)。神の天使は、この世界においてさえ、彼らの両側を歩く。そして彼らは、ついには、神のみ座を取りまく天使たちの中に立つのである。PK 605.2

    ヨシュアとみ使いに関するゼカリヤの幻は、贖罪の大いなる日の、最後の場面における神の民の経験に、特別に当てはまる。その時、残りの教会は大きな試練と苦悩に陥る。神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持っている者に対して、龍とその軍勢は激しい怒りを発する。サタンは世界を自分の家来だと思っている。彼は多くの自称キリスト者たちさえ支配してしまった。しかしここに、小さい群れが彼の主権に抵抗しているのである。もしサタンが、彼らを地上から一掃することができるならば、彼の勝利は完璧となる。サタンは異教諸国を動かしてイスラエルを滅ぼそうとしたように、近い将来、地上の邪悪な国々を扇動して、神の民を滅ぼそうとするのである。人々は神の律法に背いて、人間の布告に服従するように要求されるのである。PK 605.3

    神に忠実に服従する人々は、脅かされ、攻撃され、追放される。彼らは、「両親、兄弟、親族、友人にさえ裏切られ」、殺されるであろう(ルカ21:16)。神の憐れみだけが、彼らの唯一の希望である。祈りが彼らの唯一の防御である。ヨシュアがみ使いの前で嘆願したように、残りの教会は、心へりくだり揺るがぬ信仰をいだいて、彼らの助け主イエスによって、赦しと救出を嘆願するのである。彼らは自分たちの生活の罪深さを、十分認めている。彼らは自分たちの弱さと無価値さを知っている。そして、今にも絶望するばかりである。PK 605.4

    誘惑者サタンは、ヨシュァのそばに立ったように、彼らのそばに立って告発する。彼は、彼らの汚れた衣、彼らの品性の欠陥を指摘する。彼は、彼らの弱さと愚かさ、忘恩と罪、彼らがキリストと似ておらず、贖い主の栄えを汚したことを示す。彼は、彼らの状態は絶望的で、彼らの罪のしみは洗い去ることができないと思わせて、恐怖に陥れようとする。PK 605.5

    彼は彼らの信仰を失わせて、彼の誘惑に屈服させ、神への忠誠から引き離そうと望むのである。PK 605.6

    サタンは自分が神の民に犯させた罪を、正確に知っている。そしてサタンは、彼らが罪を犯したから神の保護を受けられなくなったと言って告発し、自分には彼らを滅ぼす権利があると主張するのである。彼は彼自身と同様に、彼らも神の恵みから除外されるべきであると言うのである。「この人々が、天におけるわたしの場所を占め、わたしといっしょになった天使たちの場所を占める人々であろうか。彼らは、神の律法に従うと言っている。しかし、彼らはその戒めを守ったであろうか。彼らは神を愛するよりは、自己を愛したのではなかろうか。彼らは神に仕えるよりは、自分の利益を重んじたのではなかろうか。彼らは、この世の物を愛したのではなかろうか。彼らの生涯を汚した罪を見よ。彼らの利己心、互いに対する彼らの悪意、憎しみを見よ。神は、わたしとわたしの天 使たちをみ前から追放しながらも、なお、同じ罪を犯したこれらの人々に、報いをお与えになるのであるか。ああ主よ、あなたはそのようなことを行っては、公平ではない。正義は彼らに対しても、宣告が発せられることを要求する」、とサタンは言うのである。PK 605.7

    しかしキリストに従った人々は、罪を犯しはしたけれども、全的に降伏してサタンの手下たちに支配されてはいなかったのである。彼らはその罪を悔い改めて、謙遜と悔恨の念をもって主を求めた。そして助け主であられるイエスは、彼らのために嘆願されるのである。彼らの忘恩によって最もひどい取り扱いを受けられた方、また彼らの罪を知るとともに、その悔い改めをも知っておられる方が言われる。「サタンよ、主はあなたを責めるのだ。わたしはこの人々のために、わたしの生命を与えた。彼らは、わたしのたなごころに彫り刻まれている。彼らの品性に不完全なところがあろう。彼らは、努力して失敗したこともあろう。しかし彼らは悔い改めた。そしてわたしは、彼らを赦し受け入れたのである」。PK 606.1

    サタンの攻撃は強烈で、その欺瞞は陰険である。しかし主の目は、神の民を見ている。彼らの苦難ははなはだしく、炉の火は今にも彼らを焼きつくすかのように思われる。しかしイエスは、彼らを火で練られた金のように取り出される。彼らは、世俗的なところが取り去られて、キリストのかたちを完全に表すようになるのである。PK 606.2

    時には主はご自分の教会の危機と、敵が教会に与えた被害を忘れたかのように思われることがある。しかし、神はお忘れになったのではない。この世において、教会ほど神にとって大切なものはない。世俗的政策によって教会の記録が腐敗することは、神のみこころではない。神はご自分の民が、サタンの誘惑に打ち負かされるままに放置されない。神は、神を誤り伝える人々を罰せられるが、心から悔い改めるすべての者に対して恵み深いのである。力とキリスト者的品性が啓発されることを、神に叫び求める者に、神はあらゆる必要な助けをお与えになるのである。PK 606.3

    終末の時にあって、神の民は地に行われる憎むべきことを、嘆き叫ぶのである。彼らは涙を流して、神の律法をふみにじる危険について悪人たちに警告を発し、言語に絶した悲しみをもって、主の前にへりくだり罪を悔いる。悪人たちは彼らの悲しみをあざけり、彼らの厳粛な訴えを嘲笑する。しかし、神の民の苦悩と屈辱とは、罪の結果失われた品性の力と高貴さを、彼らが回復しつつある間違いのない証拠である。彼らが罪のはなはだしい邪悪さをはっきり認めるのは、彼らがキリストに近づき、彼らの目がその完全な純潔さを凝視するからである。柔和と謙遜が、成功と勝利の条件である。栄光の冠は、十字架のもとにひざまずく者を待っている。PK 606.4

    神に忠実に仕え祈っている者は、いわば神の中に閉じ込められたようなものである。彼ら自身は、自分たちがどんなにしっかりと保護されているかを知らない。この世界の統治者たちは、サタンにそそのかされて、彼らを滅ぼそうとする。しかしもし神の民の目が、ダタンにおけるエリシャのしもべのように開かれるならば、神の天使たちが彼らの回りに陣をしいて、暗黒の軍勢を阻止しているのを見るであろう。PK 606.5

    神の民が神の前で心を悩まし、心が純潔になることを嘆願する時に、「彼の汚れた衣を脱がせなさい」という命令が出される。そして、「見よ、わたしはあなたの罪を取り除いた。あなたに祭服を着せよう」という励ましの言葉が語られる(ゼカリヤ3:4)。キリストの義というしみのない衣が、試練と誘惑に耐えた忠実な神の民に着せられる。PK 606.6

    さげすまれた残りの民は栄光の衣を着せられ、世俗の腐敗に2度と汚されることはないのである。彼らの名は小羊の命の書に書き留められて、各時代の忠実な者の中に加えられるのである。彼らは、欺瞞者の策略に抵抗した。彼らは龍がほえても、忠誠を失わなかった。今や彼らは、誘惑者の計略から、水遠に安全なものとなった。彼らの罪は、罪の創始者の上に移された。「清い帽子」が彼らの頭にかぶせられた。PK 606.7

    サタンが告発をしていたときに、目には見えないが、 聖天使たちがあちこち行きめぐって、忠実な人々に生ける神の印を押していた。この人々は、その額に父なる神の名を記されて、小羊とともにシオンの山に立つのである。彼らはみ座の前で新しい歌を歌うが、それは地上から贖われた14万4千人のほかは、だれも学ぶことができない。「彼らは、……小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である。彼らの口には偽りがなく、彼らは傷のない者であった」(黙示録14:4、5)。PK 606.8

    ここでみ使いの言葉が完全に成就する。「大祭司ヨシュァよ、あなたも、あなたの前にすわっている同僚たちも聞きなさい。彼らはよいしるしとなるべき人々だからである。見よ、わたしはわたしのしもべなる枝を生じさせよう」(ゼカリヤ3:8)。キリストは彼の民の贖い主、救い主としてあらわされる。残りの民の旅路の涙と屈辱が、神と小羊の前で喜びと誉れに変わる時に、人々は彼らを見て、まことに驚き怪しむのである。「その日、主の枝は麗しく栄え、地の産物はイスラエルの生き残った者の誇、また光栄となる。……シオンに残る者、エルサレムにとどまる者、すべてエルサレムにあって、生命の書にしるされた者は聖なる者ととなえられる」(イザヤ4:2~4)。PK 607.1

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