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人類のあけぼの

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    第34章 12人の斥候

    本章は、民数記13、14章に基づくPP 199.1

    ヘブルの軍勢は、ホレブの山を去ってから11日後に、パランの荒野にあるカデシに天幕を張った。ここは、約束の国境から遠くなかった。人々の希望によって、ここから斥候を送り出して国をさぐらせることになった。モーセがこのことを主に申し上げると、各部族のつかさを1人ずつ、そのために選ぶようにという指示と、許可が与えられた。斥候はさしず通りに選ぼれた。そして、モーセは国土の様子を行って見てくるように彼らに命じた。そこは、どんなところか、どんなありさまで、どんな資源があるか、どんな人々が住んでいるか、強いか弱いか、多いか少ないか、また、土地は、肥えているかやせているか、どんなものができるかを見て、その地のくだものを取ってくるようにと言った。PP 199.2

    彼らは出かけて行った。そして、彼らは、南の国境からはいって、北の果てまで進んだ。彼らは、出かけてから40日たって帰ってきた。イスラエルの人々は、大きな希望をいだいていた。そして、期待に胸をふくらませて待っていた。斥候たちの帰った知らせが、部族から部族へと伝わり、歓呼の声があがった。人々は走り出て、危険な任務を果たして無事に帰ってきた使者たちを出迎えた。斥候たちは、地が肥えていることを示すくだものの見本を持ってきた。そのころは、ぶどうの熟す季節であった。そして、彼らは、2人の男が棒でかつがねばならないほど大きな房を持ってきた。また、いちじくやざくろもたくさん実っていたので、彼らはそれも持ってきた。PP 199.3

    人々は、自分たちがこんなによい地を手に入れるようになることを喜び、斥候たちがモーセに報告している言葉を一言も聞きもらすまいと、熱心に耳を傾けた。「わたしたちはあなたが、つかわした地へ行きました。そこはまことに乳と蜜の流れている地です。これはそのくだものです」と斥候たちは、まず言った(民数記13:27)。人々は熱狂した。彼らは、主の声に心から従って、今すぐにも、その地を占領するために出かけようとした。しかし、その国がどんなに美しく、また土地が肥えているか話した後で、斥候の中の2人のほかは、イスラエルの人々が、カナンを征服しようと思えば、どんな困難と危険にあわなければならないかを、詳しく述べた。彼らは、カナンの各地に散在する強国を列挙し、その町々が城壁に囲まれていて、非常に大きく、そのなかの住民も強力で、征服は不可能であろうと言った。彼らは、また、そこでアナクの子孫である巨人たちを見、国土の占領はとうてい考えられないと言った。PP 199.4

    ここで事態は一変した。斥候たちがサタンにそそのかされて失望し、彼らの不信を口にしたとき、人々の希望と勇気は絶望に変わった。彼らの不信仰は会衆の上に暗い影を投げ、選民のためにくり返し現された神の大きな力を忘れさせた。人々は落ちついて反省しようとしなかった。ここまで彼らを導かれたおかたが、必ずこの土地をお与えになることを彼らは考えなかった。神がどんなに驚くべき方法で、海を開いて道となし、パロの追跡軍を滅ぼして、圧制者よ り救ってくださったかを、彼らは思い起こさなかった。彼らは、神を考えに入れなかった。そして、ただ武力だけに頼っているかのように行動した。PP 199.5

    彼らは、自分たちの不信仰によって、神の力を制限し、ここまで彼らを安全に導かれた手にたよらなかった。そして、彼らはまた、モーセとアロンに対してつぶやくという彼らの以前のあやまちをくり返した。「これでわたしたちの大きな望みは、みな消えてしまった。ここは、わたしたちが、わざわざエジプトから占領するためにやって来た地なのだ」と彼らは言った。彼らは、指導者が人々を欺き、イスラエルの民を苦難に陥れていると非難した。PP 200.1

    人々は、失望と絶望に陥り、自暴自棄になった。悲しそうなうめき声があがった。そして、それに心乱れてつぶやく声が混じった。カレブは、何が起こったのかに気づき、あえて神の言葉の正しさを守るために立ち上がった。カレブはできるかぎりを尽くして、不忠実な仲間たちの悪影響を阻止しようとした。しばらくの間、人々は、美しい国に関するカレブの希望と勇気に満ちた言葉に、静かに耳を傾けた。彼は、すでに斥候たちが言ったことと反対のことは言わなかった。城壁は高く、カナン人は強い。しかし、神は、イスラエルにその国を与えるとお約束になったのである。「わたしたちはすぐにのぼって、攻め取りましょう。わたしたちは必ず勝つことができます」とカレブは勧めた(同13:30)。PP 200.2

    しかし、10人の斥候たちは、カレブの言葉をさえぎって、彼らの前進をはばむものを今までよりももっと大げさに言った。「わたしたちはその民のところへ攻めのぼることはできません。彼らはわたしたちよりも強いからです。……その所でわたしたちが見た民はみな背の高い人々です。わたしたちはまたそこで、ネピリムから出たアナクの子孫ネピリムを見ました。わたしたちには自分が、いなごのように思われ、また彼らにも、そう見えたに違いありません」と彼らは言った(同13:31~33)。PP 200.3

    一度誤った道にふみ込んだこの人々は、頑強にカレブとヨシュアに敵対し、モーセに敵対し、そして神に敵対したのである。前進しようとすることに、彼らはいよいよ心をかたくなにした。カナンを占領しようとする試みは、みな阻止しようと彼らは決心した。彼らは、自分たちの与えた悪影響をいかにもまことらしくするために、真実を曲げたのである。そこは、「そこに住む者を滅ぼす地です」と彼らは言った(同13:32)。これは、悪い報告であるばかりでなく、いつわりの報告である。これは、つじつまが合わないことである。斥候たちは、その国が実り豊かで栄えたところであると言い、人々は大きいと言った。もしも、気候が不順で「住む者を滅ぼす地」であるとするならば、以上のことはみなあり得ないことである。しかし、人が一度不信を心にいだいてしまうならば、彼らは、サタンの支配に身を委ねたのであって、どこまでサタンにひかれていくかわからないのである。PP 200.4

    「そこで、会衆はみな声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした」(同14:1)。暴動が起こり、公然と反旗をひるがえす者があいついで起こった。なぜなら、サタンが完全に指導権を握り、人々は理性を失ったのかと思われた。神が、彼らのよこしまな言葉を聞き、臨在の天使である主が、雲の柱に包まれた中で、彼らの恐ろしい怒りの爆発をごらんになったことを忘れて、彼らは、モーセとアロンをのろった。彼らは悲しんで、「わたしたちはエジプトの国で死んでいたらよかったのに。この荒野で死んでいたらよかったのに」と言った(同14:2)。それから彼らは、神に反抗心を起こした。「なにゆえ、主はわたしたちをこの地に連れてきて、つるぎに倒れさせ、またわたしたちの妻子をえじきとされるのであろうか。エジプトに帰る方が、むしろ良いではないか。……わたしたちはひとりのかしらを立てて、エジプトに帰ろう」(同14:3、4)。こうして、彼らは、モーセだけでなく、神ご自身が彼らを欺いて、所有することのできない国を約束したのだと非難した。そして、彼らは、全能の神の強い手によって助け出された苦難と奴隷の地へ、彼らを連れもどす指導者を選ぼうとまでした。PP 200.5

    恥と苦悩に心を痛めて、「モーセとアロンはイスラエルの人々の全会衆の前でひれふした」(同14:5)。 彼らは、人々のこうした無分別な激しい考えをどうして思いとどまらせたらよいかわからなかった。カレブとヨシュアは、騒動を静めようと試みた。PP 200.6

    悲しみと怒りの表現として、彼らは衣を裂いて人々の中に飛び込んでいった。そして、鳴り響く大声で暴風のように泣きわめく声と反逆的悲嘆の声を圧倒して、彼らは言った。「わたしたちが行き巡って探った地は非常に良い地です。もし、主が良しとされるならば、わたしたちをその地に導いて行って、それをわたしたちにくださるでしょう。それは乳と蜜の流れている地です。ただ、主にそむいてはなりません。またその地の民を恐れてはなりません。彼らはわたしたちの食い物にすぎません。彼らを守る者は取り除かれます。主がわたしたちと共におられますから、彼らを恐れてはなりません」(同14:7~9)。PP 201.1

    カナン人は、すでに彼らの罪悪のますめを満たしていたので、神は、これ以上彼らを忍ぶことができなかった。彼らからは神の保護が取り除かれたので、やすやすと彼らを打ち負かすことができたのである。神の契約によって、その地は、イスラエルのものであると保証された。しかし、不忠実な斥候の偽りの報告が受け入れられ、それによって全会衆が欺かれた。これは、反逆者たちのしわざであった。もし、たった2人が悪い報告をし、あとの10人が、全部主の名によって国を占領しようと人々を励ましたとしても、彼らはよこしまな不信のために、10人の言うことよりは、2人の言葉を受け入れたことであろう。しかし、正しい側に立った者はただ2人で、10人は反逆の側についてしまったのである。PP 201.2

    不忠実な斥候たちは、口をきわめてカレブとヨシュアを責めた。そして、彼らを石で打てという声があがった。気の狂った群衆は石をつかんでこの忠実な人々を殺そうとした。彼らは狂ったような叫び声をあげて前進した。ところが急に、彼らの手から石は落ち、声は静まり、彼らはふるえおののいた。神が彼らの殺意をとどめるために介入なさったのである。神の臨在の栄光が、燃える光のように幕屋を照らした。すべての民が主のしるしを見た。彼らよりも大きな力のあるお方が、ご自身をあらわされた。こうなっては、あえて反逆しつづける者はひとりもなかった。悪い報告をした斥候たちは、恐怖に身を縮めて、息せき切って天幕に帰った。PP 201.3

    さて、モーセが立って幕屋に入った。主は、モーセに言われた。「わたしは疫病をもって彼らを撃ち滅ぼし、あなたを彼らよりも大いなる強い国民としよう」(同14:12)。しかし、モーセは再び民のために嘆願した。モーセは、民が滅ぼされて自分が彼らよりも大きな国民にされることに同意することはできなかった。PP 201.4

    モーセは神の憐れみを請うて言った。「どうぞ、あなたが約束されたように、いま主の大いなる力を現してください。あなたはかつて、『主は怒ることおそく、いつくしみに富み……』と言われました。どうぞ、あなたの大いなるいつくしみによって、エジプトからこのかた、今にいたるまで、この民をゆるされたように、この民の罪をおゆるしください」(同14:17~19)。PP 201.5

    主は、イスラエルを直ちに滅ぼすことはしないとお約束になった。しかし、彼らの不信とおくびょうのために主は、彼らの敵を征服するために力をあらわすことができなくなった。そこで、主は、憐れみのうちに、唯一の安全な道として、彼らに紅海にもどることをお命じになった。PP 201.6

    人々は反逆して、「この荒野で死んでいたらよかったのに」と叫んだ。今この願いは聞かれることになった。「あなたがたが、わたしの耳に語ったように、わたしはあなたがたにするであろう。あなたがたは死体となって、この荒野に倒れるであろう。あなたがたのうち、わたしにむかってつぶやいた者、すなわち、すべて数えられた20歳以上の者はみな倒れるであろう。……しかし、あなたがたが、えじきになるであろうと言ったあなたがたの子供は、わたしが導いて、はいるであろう。彼らはあなたがたが、いやしめた地を知るようになるであろう」と主は宣言された(同14:28~31)。そして、カレブについて主は言われた。「ただし、わたしのしもベカレブは違った心をもっていて、わたしに完全に従ったので、わたしは彼が行ってきた 地に彼を導き入れるであろう。彼の子孫はそれを所有するにいたるであろう」(同14:24)。斥候たちが40日の旅をしたのと同じように、イスラエルの軍勢は、40年の間荒野をさまようことになった。PP 201.7

    モーセがこの神の決定を人々に知らせると、彼らの怒りは悲しみに変わった。彼らは、その罰が正当なことを知っていた。10人の不忠実な斥候は疫病にかかって、全イスラエルの目の前で死んだ。彼らの運命を見て、人々は自分たちの運命を知った。PP 202.1

    今となっては、彼らは、自分たちの罪深い行為を心から悔いているように思えた。しかし、彼らの悲しみは、忘恩と不従順を感じたからではなく、むしろ彼らの悪行の結果のためであった。主がお決めになったことを容赦なくなさることがわかったとき、人々はまたわがままな気持ちを起こし、自分たちは荒野に帰りたくないと主張した。神が、敵の地から引き返すようにお命じになったのは、彼らの表面的服従が真実かどうかを試みておられたのであったが、それが真の服従でなかったことが明らかになった。彼らは、激情の支配するままに動き、神に従うことを勧めた斥候たちを殺そうとしたことによって、非常な罪を犯したことは認めたけれども、彼らは、ただ恐るべきあやまちを犯したことと、その結果が彼らを悲惨な末路に陥れるものであることを知って、恐れたにすぎなかった。彼らの心に変化はなかった。そして、彼らは、また似たような暴動を起こすきっかけを必要としていたにすぎなかった。このことは、モーセが神の権威によって、彼らに荒野へ引き返すように命じたときに起こった。PP 202.2

    イスラエルが40年の間、カナンにはいれないという命令は、モーセとアロン、カレブとヨシュアにとって苦い失望であった。しかし、彼らはつぶやくことなく、神の決定を受け入れた。しかし、神の御処置についてつぶやき、エジプトに帰りたいと言っていた人々は、自分たちが侮った祝福が彼らから取り去られた時に、激しく泣き悲しんだ。彼らは取るに足らぬことのためにつぶやいてきた。そこで、神は今、悲しむ理由を彼らにお与えになった。もし、彼らの罪がそのまま目の前に示された時に、彼らが自分たちの罪を悲しんだのであれば、この宣告は与えられなかったはずであった。だが、彼らは、この刑罰を悲しんだ。彼らの悲しみは、悔い改めではなかったから、この宣告の取り消しを得ることはできなかった。PP 202.3

    その夜、人々は泣き明かしたが、朝とともに希望がわいた。彼らは、自分たちのおくびょうの償いをしようと決心した。神が行って、園を占領せよとお命じになった時に、彼らは拒絶したのであった。そして、神が今退却をお命じになると、彼らは同じように反抗した。彼らは国に攻め上って、占領しようと心に決めた。あるいは神は彼らの働きを受け入れて、彼らに対するみこころをお変えになるかも知れない。PP 202.4

    神は、神が決められた時に、彼らが入国するのを彼らの特権とし義務となさった。しかし、彼らの故意の怠慢のために、その許可は取り下げられた。サタンは、彼らのカナン入国を妨げて、自己の目的を果たした。神が命じられた時に、彼らが拒んだその同じことを、今度は、神が禁じておられるにもかかわらず行うようにサタンは人々をそそのかした。こうして大欺瞞者は、彼らを再び反逆に導いて勝利を得た。彼らは、彼らと力を合わせて、カナンを占領するために働いてくださる神の力に信頼しなかった。それにもかかわらず今度は神の助けを受けずに、自分たちの力だけで、その仕事をなしとげようとしたのである。「われわれは主にむかって罪を犯しました。われわれの神、主が命じられたように、われわれは上って行って戦いましょう」と彼らは叫んだ(申命記1:41)。彼らは、罪の結果、これほどまでに恐ろしく盲目になっていた。主は、「上って行って戦え」とはお命じにならなかった。彼らが戦って国を獲得することは、神のみこころではなかった。それは厳格に神の命令に従うことによって行われるべきであった。PP 202.5

    人々の心に変化はなかったけれども、彼らは、斥候たちの報告を聞いて、反逆した自分たちの罪深さと愚かさを告白するに至った。ここで彼らは自分たちが軽率に投げ捨てた祝福の価値を認めた。彼らがカナンに入れないのは、自分自身の不信のためであることを告白した。「われわれは罪を犯しました」と 彼らは言った。そして彼らは、神が約束を実行なさらぬことを激しく非難したけれども、落ち度は神ではなくて、彼らにあることを認めた。この告白は真の悔い改めから出たものではなくても、神が彼らを正義をもってあしらわれることを示した。PP 202.6

    主は今もなお、同じような方法によって、人々にご自分の正義を認めさせ、み名に栄えを帰しておられる。神を愛すると言う人々が、神の摂理に対してつぶやき、神の約束をあなどり、誘惑に負けて悪天使と一緒になって神のみこころを挫折させようとすることがある。そのような時に、主は、彼らが真に悔い改めていないにもかかわらず、彼らに罪を認めさせ、自分たちの悪い行為を認めさせ、神が彼らを義と恵みをもってあしらっておられることを認めざるを得ないように、事情を支配なさることがよくあるのである。神は、このようにして、反対の勢力を活動させて、やみの働きをあらわになさるのである。そして、悪い行為に走ろうとする精神には、根本的変更はなくても、神の栄えのためとなり、圧迫と誤解を受けてきた神の忠実な譴責者たちが正しかったことを認める告白がなされるに至るのである。最後に神の怒りが注がれる時にも同じことが起こる。「主は無数の聖徒たちを率いてこられた。それは、すべての者にさばきを行うためであり」、不信心な者の「すべての不信心なしわざ」を責めるためである(ユダ14、15)。すべての罪人は、自分に与えられた宣告を聞いて、その正当なことを認めるに至る。PP 203.1

    神からの禁令があるにもかかわらず、イスラエルは、カナンの征服に着手しようとした。武具をまとい、武器を手にした彼らは、戦いの準備を完了したつもりであった。しかし、神の目と、悲しみに沈んだ神のしもべたちの目から見れば、はなはだしく不十分なものであった。約40年後、主が上っていってエリコを征服せよとお命じになった時に、主は共に行くと約束なさった。神の律法を入れた箱が、軍勢の前にかつがれて行った。主のお定めになった指導者が、神のさしずに従って、彼らの行動を指揮することになっていた。このような指導の下にあれば、どんな損害も受けることはなかった。しかし、今は、神の命令と指導者たちの厳粛な禁令にもかかわらず彼らは箱もなければ、モーセも共に行かないまま、敵の軍隊に向かって行った。PP 203.2

    警告のラッパが鳴った。モーセは、彼らの後を追って警告した。「あなたがたは、それをなし遂げることもできないのに、どうして、そのように主の命にそむくのか。あなたがたは上って行ってはならない。主があなたがたのうちにおられないから、あなたがたは敵の前に、撃ち破られるであろう。そこには、アマレクびとと、カナンびとがあなたがたの前にいるから、あなたがたは、つるぎに倒れるであろう」(民数記14:41~43)。PP 203.3

    カナン人は、この民を守っているように思われる不思議な力と、彼らのために行われた奇跡について聞いていた。そこで彼らは、この侵入軍を撃退するために、強力な軍隊を召集した。攻撃軍のほうには指導者がなかった。勝利を願う祈りも捧げられなかった。彼らは、自分たちの運命を逆転させるか、それとも戦死するかといった、死にものぐるいの気持ちで出発した。彼らは戦争の訓練は受けていなかったけれども、武装した大群衆であった。そして、急に猛攻撃を加えることによって、どんな反撃をも撃退できると考えた。彼らは、あえて攻撃をしかけない敵に、無謀にもこちらから挑戦した。PP 203.4

    カナン人は、困難な山道や、急で非常に危険な坂をのぼらなければ行けない岩の上の台地に陣取っていた。ヘブル人のおびただしい数は、それだけ彼らの敗北を悲惨なものにするに過ぎなかった。彼らは山の小道をよじ登り、上方の敵の恐ろしい攻撃に身をさらした。巨大な石が上から大音響と共に落下してきて、ヘブル人の道を死者の血で染めた。頂上に達した者も登って行くだけで力尽きて、激しい反撃にたまりかね、多くの損害をこうむって退却した。大虐殺の行われたあとには、多くの戦死者のしかばねが横たわっていた。イスラエルの軍隊は完全に敗北した。神にそむいて試みた攻撃の結果は、破壊と死であった。PP 203.5

    ついに降伏するほかなく、生き残った者たちは「帰ってきて、主の前で泣いたが」主は彼らの声を聞かれなかった(申命記1:45)。大軍の接近を恐怖に震えながら待っていたイスラエルの敵は、この大勝利によって、イスラエルに抵抗する確信を持つようになった。彼らは、これまで神がその民のために行われた驚くべきことを聞いていたが、それを今はみな偽りであったとし、なんの恐れる理由もないと感じるようになった。このイスラエルの最初の敗北は、カナン人に勇気と決意を起こさせた。これは、彼らの征服を非常に困難なものにした。イスラエルは、勝ち誇る敵の前から退却して、荒野へ行くほかなかった。彼らは、その世代のすべての者が荒野を墓場としなければならないことを知っていた。PP 204.1

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