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人類のあけぼの

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    第64章 サウル、ダビデを追う

    本章は、サムエル記上18~22章に基づくPP 338.2

    サウルは、ゴリアテが倒れたあとも、ダビデを自分のところにおき、彼が父の家に帰ることを許さなかった。そして、「ヨナタンの心はダビデの心に結びつき、ヨナタンは自分の命のようにダビデを愛した」(サムエル記上18:1)。ヨナタンとダビデは兄弟の契約を結んだ。ヨナタンは、「自分が着ていた上着を脱いでダビデに与えた。また、そのいくさ衣、およびつるぎも弓も帯も、そのようにした」(同18:4)。ダビデは重要な責任を負わせられたが、謙遜な気持ちを持続し、王家の愛情とともに国民の愛情をもかち得た。PP 338.3

    「ダビデはどこでもサウルがつかわす所に出て行って、てがらを立てたので、サウルは彼を兵の隊長とした」(同18:5)。ダビデは慎重で忠実であった。そして、神の祝福が彼と共にあることが明らかであった。サウルは時おり、自分がイスラエルを統治するには不適任であることを自覚し、主の教えを受けた者が彼と共にいたならば、王国はもっと安定するだろうと考えた。サウルは、また、ダビデと関係を保っことによって、自分の身を守ろうと望んだ。ダビデは主に恵まれ守られていたから、彼を戦いに連れて出れば、彼がいることによってサウルは保護されることであろうと思われた。PP 338.4

    ダビデとサウルの関係は、神の摂理によるものであった。ダビデの宮廷における地位は、彼に国務の知識を与え、将来彼が偉大な王になるよい準備となった。こうして、彼は国民の信任を得たのであった。彼は、サウルに憎まれてさまざまな苦難と困難を経験したが、それによって、彼は神によりすがり、全的に神に信頼するようになった。ヨナタンとダビデの友情も、また、神の摂理であって、将来のイスラエルの王の生命を救うためであった。神は、こうしたすべてのことにおいて、ダビデのため、ならびに、イスラエルの国民のために、その恵み深いみこころを行っておられた。PP 338.5

    しかし、ダビデに対するサウルの友情は、長く続かなかった。サウルとダビデが、ペリシテ人との戦いから帰ってきた時に、「女たちはイスラエルの町々から出てきて、手鼓と祝い歌と三糸の琴をもって、歌いつ舞いつ、サウル王を迎えた」(同18:6)。女たちの群れが、「サウルは1000を撃ち殺し」と歌うと、別の群れがその歌に答えて、「ダビデは万を撃ち殺した」と歌った(同18:7)。王の心に嫉妬の鬼が入った。彼は、イスラエルの女たちが、彼よりもダビデをほめそやしたのを怒った。彼は、こうした嫉妬心を抑えないで、彼の品性の弱点を暴露して叫んだ。「ダビデには万と言い、わたしには千と言う。この上、彼に与えるものは、国のほかないではないか」(同18: 8)。PP 338.6

    サウルの性格の一大欠陥は、賞賛を愛する心であった。この特質が、彼の行動と思想を支配していた。何事においても、賞賛と自己賞揚を欲する気持ちがあらわれていた。彼の善悪の標準は、人々の賞賛という低い標準であった。まず第一に神を喜ばせようとせず、人間を喜ばせるために生活する人は安全ではない。サウルの野心は人間から最高の賛辞を受けることであった。そして、この賞賛の歌を聞いた王は、ダビデが人心を獲得し、彼に代わって王になるにちがいないと思い込んだ。PP 339.1

    サウルは、嫉妬心をいだいた。そして、彼の魂は、それに毒された。王は、預言者サムエルから、神がしようとされることは必ず実現し、何びともそれをはばみ得ないことを教えられていた。しかし、彼は、神の計画や神の力について、真の知識を持っていないことを明らかにした。イスラエルの王は、無限の神のみこころに反逆していた。サウルは、イスラエル王国を統治したが、自分の心を治めるべきことを学んでいなかった。彼は、衝動のままに物事を判断し、烈火のように怒り狂った。彼は、感情を爆発させて、彼の意志に逆らう者を殺そうとするのであった。彼は、こうした狂乱状態のあとで、意気消沈と自己嫌悪と後悔の念に襲われるのであった。PP 339.2

    彼は、ダビデのたて琴を聞くのが好きであった。そして悪霊は、しばらく彼を離れたように思われた。しかしある日、ダビデが彼に仕えて、美しい楽の音に合わせて神を賛美していた時に、サウルは突然やりを投げて彼を殺そうとした。ダビデは、神の介入によって助けられ、なんの危害も受けず、狂った王の怒りをのがれることができた。PP 339.3

    サウルのダビデに対する憎悪がつのるにつれて、サウルはますますダビデの生命をとる機会をねらうようになった。しかし、主に油を注がれた者に対する彼の計画は、どれも成功しなかった。サウルは、彼を支配している悪霊の命じるままになった。しかし、ダビデは、大いなる助言者であり、力強い救済者であられる神に信頼した。「主を恐れることは知恵のもとである」(箴言9:10)。そして、ダビデは、神の前に正しく歩くことができるようにと、常に神に祈りを捧げていた。PP 339.4

    王は、彼の敵をそばに置くのを好まず、「ダビデを遠ざけて、1000人の長とした……。イスラエルとユダのすべての人はダビデを愛した」(サムエル記上18:13、16)。入々は、ダビデが有能な人物であって、委ねられたことを賢く巧みに処理できることをすぐに認めた。若い彼の勧告は、賢明で思慮深いもので、人々が安心して従っていけるものであった。これに反して、サウルの判断は、時には信頼することができず彼の決定は賢明でなかった。PP 339.5

    サウルは常にダビデを殺す機会をねらっていたが、主が彼と共におられることが明らかであったので、彼を恐れていた。ダビデの非の打ちどころのない品性が、王を怒らせた。ダビデの生活と彼の存在そのものが、王に対する譴責であるように思われた。王自身の品性は、ダビデの品性と比較してみれば劣って見えるのであった。サウルを悲惨に陥れ、彼の王国の国民の1人の生命を危険にさらしたのは、ねたみであった。人の心のこの邪悪な特質が、この世界でなんと数多くの不幸をもたらしたことであろう。アペルの行為は正しく、神に喜ばれた。しかし、カインの行為は邪悪で、主の祝福を受けられなかった。そのため、カインは弟のアペルを憎んだ。それと同じ憎悪をサウルはいだいた。ねたみは、誇りから生じる。もし心にねたみをいだけば、それは憎悪となり、ついには、復讐、殺人を犯させることになる。なんの害も加えなかったダビデに対する激しい怒りをサウルにいだかせて、サタンは自分自身の本性を暴露したのである。PP 339.6

    王は、ダビデに軽率で無分別な行動がないかとうかがって、彼をはずかしめようと厳重に見張っていた。彼はダビデの生命を奪ったとしても、なお自分の悪行が国民の前で正当化されるのでなければ満足しなかった。彼はさらに、勢いよくペリシテ人と戦うことをダビデに勧め、その武勇の報賞として、王家の一番上の王女を妻に与えることを約束して、彼をわなに陥 れようとした。この申し出に対し、ダビデは、謙遜に答えて言った。「わたしは何者なのでしょう。わたしの親族、わたしの父の一族はイスラエルのうちで何者なのでしょう。そのわたしが、どうして王のむこになることができましょう」(同18:18)。ところが、王は、王女を他の者にとつがせて、誠意のないことを示した。PP 339.7

    サウルの末娘のミカルは、ダビデを愛した。それで、王は、これを機会にもう1度ダビデを陥れようとした。もしダビデが、一定の数の敵軍を打ち破って彼らを殺した証拠を持ってくるならば、ミカルが彼に与えられることになった。サウルは、彼を「ペリシテびとの手で殺そう」と思った(同18:17)。しかし、神はそのしもべを守護された。ダビデは、戦いに勝って王の婿になるために帰ってきた。「サウルの娘ミカルはダビデを愛した」(同18:20)。こうして王は、殺してしまおうと思っていた相手を昇進させる結果に終わったことを見で憤激した。主が、サウルよりもすぐれた者、また彼に代わってイスラエルの王位に就く者と言われたのはこの人にちがいないと、サウルははっきり悟ったのである。サウルは、彼の本心をあらわして、ヨナタンおよび王宮のすべての家来たちに、この憎いダビデの生命をとることを命じた。PP 340.1

    ヨナタンは、王の考えをダビデに知らせ、彼に身を隠すように命じた。一方、彼は、イスラエルの救済者ダビデの命を救うように、父に訴えるつもりであった。彼は、ダビデが国家の栄誉と生命を維持するために行ったことを王に訴えた。そして、神が敵を退却させるために用いられた者を殺すということは、なんと恐ろしい罪であるかを語った。王の良心は動かされ、その心は和らげられた。「サウルは誓った、『主は生きておられる。わたしは決して彼を殺さない』」(同19:6)。ダビデは、サウルのところに連れて来られた。そして、これまでと同様に、彼の前で仕えた。PP 340.2

    イスラエルとペリシテ人の間には、ふたたび戦争が起こった。そしてダビデは、軍勢を引き連れて敵と戦った。ヘブル人は、大勝利を博し、国中の人々は彼の知恵と勇壮な行為をほめた。これは、サウルの以前からの憎悪をかき立てることになった。ダビデが王の前で楽の音をかなで、宮中に知、い音楽を響かせていた時に、王は激情を抑えることができず、ダビデにやりを投げつけて、彼を壁にくしざしにしようとしたのである。しかし主の使いが、その危険な武器を他にそらせた。ダビデは逃げて彼の家に帰った。サウルは、使者たちを送り、彼が朝出てくるところを捕らえて殺そうとした。PP 340.3

    ミカルは、父の意図していることをダビデに知らせた。彼女は、彼に父を避けて身の安全を計るように勧め、窓から彼をつりおろして逃がしてやった。彼は、ラマにいるサムエルのところにのがれた。そして、預言者は、王の立腹するのも恐れずに逃亡者を歓迎した。サムエルの家は、王の宮殿とは対照的に平和な場所であった。主に尊ばれたしもベサムエルが仕事を続けていたのは、山の中のこの場所であった。預言者の一群が彼と共にいた。彼らは、神のみ旨を綿密に研究していた。そして、サムエルのくちびるからもれる教えの言葉にうやうやしく耳を傾けていた。ダビデがイスラエルの教師から学んだ教訓は、尊いものであった。ダビデは、サウルの軍勢がこの神聖な場所に侵入する命令を受けようとは信じられなかった。しかし、向こう見ずの王のくらんだ心に神聖な場所などはなかった。ダビデとサムエルとの結びつきは王のねたみを起こさせた。サウルは、イスラエル全国から神の預言者としてあがめられているサムエルが、彼の敵の昇進に力をかすのではないかと恐れた。王は、ダビデの居どころを知ると、使者たちを送って彼をギベアに連れ出し、そこで彼を殺す計画を実行しようとしていた。PP 340.4

    使者たちは、ダビデの生命をとるために進んでいった。しかし、サウルよりも力のあるお方が、彼らを支配した。彼らは、イスラエルをのろう途中にあったバラムと同様に、見えない天使の出迎えを受けた。彼らは、将来起こる出来事を預言し始め、主の栄えと威光とを宣言した。こうして、神は、人間の怒りを支配して、悪を抑制する神の力をあらわされた。他方、神は、神のしもべを天使たちによって取り囲み守護し ておられた。PP 340.5

    ダビデを手中におさめようと待ちかまえていたサウルにこの報告が伝えられた。しかし、彼は、神の譴責を感じるどころか、さらに激しく怒りに燃えて、別の使者たちを送った。この人々も神の霊に支配されて、最初の者といっしょになって預言した。王は、第3の使者たちを派遣した。しかし、彼らも預言者の仲間のところに来ると、神の霊が彼らに降下して預言した。サウルは、彼の激しい憎悪を抑制することができなくて、自分ででかけることにきめた。彼は、ダビデを殺す機会をこれ以上待つまいと決心した。もしダビデが手のとどくところに来たならば、サウルはどんな結果になろうと、彼を自分の手で殺そうとしていたのである。PP 341.1

    しかし、神の天使が途中で彼を迎えて、彼を支配した。神の霊が、力強く彼を捕らえた。彼は、預言したり聖歌をうたったりしながら、神に祈りつつ進んでいった。彼は、世界の救済者として来られるメシヤのことを預言した。彼がラマにある預言者の家に来ると、彼の地位のしるしであった上着を脱いだ。そして、彼は神の霊に動かされて、一日一夜、サムエルと彼の弟子たちの前に横たわった。人々は、この不思議な光景を見るために近づいてきた。王の経験したことは、国中に広く伝えられた。こうして、サウルは、彼の治世の終わり近くで、彼もまた預言者の中にいたということが、イスラエルに言い伝えられた。PP 341.2

    ふたたび、迫害者の計画は挫折した。彼は、ダビデと仲直りをしたと確言したが、ダビデは、王の悔い改めを信じなかった。彼は、王が以前と同様に心を変えるといけないので、この機会に逃亡することにした。彼は心に痛手を受けていたので、もう一度友人のヨナタンに会いたかった。彼は、自分になんの罪のおぼえもなかったので、王子ヨナタンを捜し求めて、涙ながらに訴えた。「わたしが何をし、どのような悪いことがあり、あなたの父の前にどんな罪を犯したので、わたしを殺そうとされるのでしょうか」(同20:1)。ヨナタンは、彼の父が心を入れ替えて、もうダビデの生命を奪おうとしないと信じた。ヨナタンは彼に言った。「決して殺されることはありません。父は事の大小を問わず、わたしに告げないですることはありません。どうして父がわたしにその事を隠しましょう。そのようなことはありません」(同20:2)。ヨナタンは、こうした驚くべき神の力のあらわれのあとでもなお、父がダビデに害を加えるとは信じられなかった。なぜなら、それは、あきらかに神に対する反逆になるからであった。しかし、ダビデは納得しなかった。彼は、熱誠こめてヨナタンに訴えた。「主は生きておられ、あなたの魂は生きています。わたしと死との間は、ただ1歩です」(同20:3)。PP 341.3

    イスラエルでは、月の始めに聖なる祭りが祝われていた。その祭りの日が、ダビデとヨナタンが顔を合わせた次の日になっていた。この祭りの時に、この青年たちは、2人とも王の食卓につくことになっていた。しかしダビデは、その席につくことを恐れた。それで、彼は、ベツレヘムの兄弟たちのところを訪問することにした。こうして、3日間、王の前から姿をかくしたあとで帰ってきた時に、彼は宴会場からあまり遠くない野原に身を隠していることにした。そしてヨナタンは、こうしたことがサウルにどんな影響を及ぼすかをうかがうのであった。もし、エッサイのむすこはどこへ行ったのかと聞かれれば、彼は父の家の祭りに出るために家に帰りましたとヨナタンが言うことになっていた。もし、王が怒ったようすを見せず、「良し」と言うならば、ダビデは、宮廷に帰っても安全であった(同20:7)。しかし、もし王がダビデの不在を怒るならば、彼は逃亡しなければならないのであった。PP 341.4

    祭りの最初の日、王は、ダビデの不在について何も尋ねなかった。しかし、2日目にも彼の席があいていたので、王は聞いた。「『どうしてエッサイの子は、きのうもきょうも食事にこないのか』。ヨナタンはサウルに答えた、『ダビデは、ベツレヘムへ行くことを許してくださいと、しきりにわたしに求めました。彼は言いました、「わたしに行かせてください。われわれの一族が町で祭をするので、兄がわたしに来るようにと命じました。それでもし、あなたの前に恵みを得ますならば、どうぞ、わたしに行くことを許し、兄弟たちに 会わせてください」。それで彼は王の食卓にこなかったのです』」(同20:27~29)。この言葉を聞いたとき、サウルは怒りを抑えることができなかった。王は、ダビデが生きているかぎり、ヨナタンの王位継承は不可能であると言った。そして、すぐにダビデを呼び出して殺すように命令した。ヨナタンは、ふたたび友のためにとりなして言った。「どうして彼は殺されなければならないのですか。彼は何をしたのですか」(同20:32)。こうした訴えは、王を悪魔のように激怒させるだけであった。そして、王は、ダビデを殺すために用意したやりを、今度は自分のむすこに投げつけた。PP 341.5

    ヨナタンは悲しみと怒りに満ちて、王の前を去り、その後は王と祭りの食事を共にしなかった。彼は悲しみに打ちひしがれて、王のダビデに対する考えを彼に知らせる場所に、約束の時間に出かけて行った。彼らは、互いに首をいだいて激しく泣いた。王の激しい怒りが若者たちの生涯に暗い影を投げた。その深い悲しみは言葉では表現することができなかった。彼らがそれぞれの違った道を歩むために別れたときに、ヨナタンは決別の言葉をダビデに言った。「無事に行きなさい。われわれふたりは、『主が常にわたしとあなたの間におられ、また、わたしの子孫とあなたの子孫の間におられる』」(同20:42)。PP 342.1

    王子はギベアに帰り、ダビデはほんの数マイルしか離れていなかったが、ベニヤミンに属していたノブの町へと急いだ。幕屋はシロからここへ移され、大祭司アヒメレクが、ここで奉仕していた。ダビデは、神のしもべのところ以外に、どこに隠れ場を求めて逃げてよいかわからなかった。祭司は、彼が心配と悲しみを顔に浮かべてあわただしくただ1人で来ているようすなのを見て驚いた。祭司は、彼が、何の用でそこに来たのかと尋ねた。ダビデは、いつも、見つかるのではないかと恐れおののいていたので、この窮地にあってうそをついた。彼は、急いで果たさなければならない秘密の任命を、王から委ねられて来たと祭司に言った。ここで、彼は、神を信じる信仰に欠けていたことをあらわした。そして、彼の罪のために大祭司は死ななければならなくなった。もしも彼が事実を明らかにしていたならば、アヒメレクは、自分の生命を保つために取るべき手段を知っていたことであろう。神は、どんな危機にあっても、神の民が真実であることを要求されるのである。ダビデは、祭司に5つのパンを求めた。神の人の手もとには聖別されたバンしかなかった。しかし、ダビデは彼がためらうのを説き伏せて、飢えを満たすためにパンを手に入れた。PP 342.2

    さて、新しい危険が迫ってきた。ヘブル人の信仰を表明していたサウルの牧者の長ドエグが、礼拝の場所で誓いを果たしていた。ダビデはこの男を見たので、急いで他に隠れ場をさがすことにし、もし防御の必要が起こった場合に、自分を守るために武器を手に入れようとした。彼がアヒメレクに剣を求めると、幕屋に記念品として保存されていたゴリアテの剣のほか何もないことを知らされた。ダビデは答えた。「それにまさるものはありません。それをわたしにください」(同21:9)。彼は、自分が以前にペリシテ人の勇士を殺すために用いた剣をにぎって勇気がよみがえった。PP 342.3

    ダビデは、ガテの王アキシのところに逃げた。サウルの領内よりは、イスラエルの敵国の中のほうが安全であると彼は思った。しかし、ダビデは、幾年か前にペリシテ人の勇士を倒した人であることがアキシに伝えられた。そこでイスラエルの敵国に難を避けた者は、一大危機に陥った。ところがダビデは、気が狂ったまねをして、敵を欺き、逃げ出すことができた。PP 342.4

    ダビデの第1の誤りは、ノブで神を信頼しなかったことである。第2の誤りは、アキシを欺いたことである。ダビデは、品性の気高さをあらわし、彼の道徳的価値は国民の愛情をかち得た。しかし、試練に出会った時に彼の信仰は揺らぎ、人間的弱点を暴露した。彼は、誰を見ても、その人が密偵であるかまたは裏切り者であるかと思った。彼は、一大危機において、信仰の目をしっかり天に向けて神を仰ぎ、ペリシテの巨人を倒したのであった。彼は、神を信じ、神の名のもとに出て行った。しかし敵に追われ、迫害された時に、困惑と苦悩のために彼の天の父を見失ってし まうばかりであった。PP 342.5

    しかし、この経験はダビデに知恵を与えたのである。それは、彼に自己の弱さを自覚させ、常に神に信頼する必要を感じさせた。失望または落胆した魂に働きかけ、気落ちした者を励まし、衰えた者を強め、試練の中にある主のしもべたちに勇気と力を与える神の霊のお働きはなんと尊いことであろう。また、われわれの神は、なんという神であろう。神は、誤った者をやさしく扱い、われわれが逆境または、大きな悲しみに圧倒されているときにも忍耐深くあわれんでくださるのである。PP 343.1

    神の子供たちの失敗は、みな彼らの信仰の欠如が原因である。魂が暗黒におおわれ、光と指導が必要になった時には、見上げなければならない。暗黒のかなたに光がある。ダビデは、一瞬でも神に対する信頼を失ってはならなかった。彼は、神に信頼する十分な理由があった。彼は、主に油を注がれていた。そして、危険のさ中にあって、神の天使に守護されていたのである。彼は驚くべきことを行う勇気が与えられていたのである。そして、彼が、自分の置かれた窮地から目を離して、神の力と威光とを考えさえしたならば、彼は死の陰のさ中にあっても、平安を保つことができたのである。彼は確信をもって、主の約束をくりかえすことができたのである。「山は移り、丘は動いても、わがいつくしみはあなたから移ることなく、平安を与えるわが契約は動くことがない」(イザヤ54:10)。PP 343.2

    ダビデはユダの山の中で、サウルの追跡を避けていた。彼は、アドラムのほら穴へ逃げた。ここはわずかの人数で、大きな軍勢を防ぐことができた。「彼の兄弟たちと父の家の者は皆、これを聞き、その所に下って彼のもとにきた」(サムエル記上22:1)。ダビデの家族の者は、サウルがいつなんどきダビデの家族だということでどんな不合理な疑いをかけてくるかわからなかったので、安心しておられなかった。彼らは、もう、イスラエル国内に広く知られるようになったこと、すなわち、ダビデが神の民の将来の王として選ばれたことを知っていた。そして、たとえ彼が寂しいほら穴にいる逃亡者であっても、ねたみ深い王の狂気にさらされているよりは、彼と共にいるほうが安全であると信じたのである。PP 343.3

    アドラムのほら穴で、家族は同情と愛に結ばれた。エッサイのむすこは、楽の音に合わせて歌うのであった。「見よ、兄弟が和合して共におるのはいかに麗しく楽しいことであろう」(詩篇133:1)。彼は、自分の兄弟たちに信用されないつらさも味わったことがあった。不和に代わって和合が実現したことをダビデは心から喜んだ。ダビデは、ここで詩篇第57篇を作った。PP 343.4

    その後間もなく、王の苛酷な要求から逃げようとする人々が、ダビデの一隊に加わった。多くの者は、イスラエルの王に対する信頼を失っていた。彼らは、すでに王が神の霊に導かれていないのを見ることができたからである。「しえたげられている人々、負債のある人々、心に不満のある人々も皆」ダビデのところに来た。「彼はその長となった。おおよそ400人の人々が彼と共にあった」(サムエル記上22:2)。ここでダビデは、彼自身の小王国を持った。そして、それは、秩序整然としたものであった。しかし、この山中の隠れ家にあっても、彼は心安まる暇がなかった。王はなお彼を捜し求めて、殺そうとしていることが明らかだったからである。PP 343.5

    彼は、両親のための隠れ家をモアブの王のところに見つけた。それから彼は主の預言者から危険の警告を受けて彼の隠れ家を去って、ハレテの森へ行った。ダビデのこうした経験は、不必要で無益なものではなかった。神は、彼が正しく恵み深い王であるとともに、賢明な将軍になるための訓練を与えておられた。彼は、一団の逃亡者たちと共に住んで、サウルが凶悪な殺意と盲目的無分別のために全く不適格になってしまったその仕事につく準備を与えられていた。人間が神の勧告を離れるならば、正義と分別をもって行動する冷静さと知恵を保つことができなくなる。神の知恵の指導を仰がないで、人間の知恵に従うことほど恐ろしく、絶望的狂気はない。PP 343.6

    サウルは、アドラムのほら穴で、ダビデをわなにかけ て捕らえようとしていた。ところが王は、ダビデがこの隠れ家を去ったことを知って、非常に怒った。サウルは、どうしてダビデが逃亡したのかわからなかった。これは必ず陣営の中に裏切り者がいて、王の接近と計画とをエッサイのむすこに知らせたとしか考えられなかった。PP 343.7

    彼は、自分に対する謀反が起こったにちがいないと家来たちに告げ、多くの報賞と名誉ある地位を約束して、彼の国民のうちでだれがダビデの味方になったかを聞き出そうとした。エドム人のドエグが通報者になった。彼は、野心と貧欲に動かされるとともに、彼の罪を責めた祭司に対する憎悪とから、ダビデがアヒメレクを訪問したことを知らせ、神の人に対してサウルを激怒させるような言い方をした。あの邪悪な舌の言葉は、地獄の火を燃やし、サウルの心の最も醜い感情をかき立てた。彼は怒り狂って、祭司の全家族に死刑を宣告した。そして、その恐ろしい命令は執行された。アヒメレクだけでなくて、彼の父の家族の者たち、「亜麻布のエポデを身につけている者85人」が王の命令のもとに、ドエグの手によって殺された(同22:18)。PP 344.1

    「彼はまた、つるぎをもって祭司の町ノブを撃ち、つるぎをもって男、女、幼な子、乳飲み子、牛、ろば、羊を殺した」(同22:19)。サタンに支配されたサウルには、こうしたことができたのである。アマレク人の罪悪が満ちて、神が彼らを全滅させるように命令された時に、サウルは彼らをあわれんで神の命令に従わず、滅ぼすべきものを残しておいた。しかし、今度、神の命令ではなく、サタンに支配されていた時には、主の祭司たちを殺し、ノブの住民を全滅させることができたのである。神の指導を拒む人間の心は、このように邪悪なのである。PP 344.2

    この行為によって、イスラエル全土は恐怖に満ちたこの虐殺を行ったのは、彼らの選んだ王であって、彼は、神を恐れない他国の王のすることをまねたに過ぎなかった。契約の箱は彼らのところにあった。しかし、彼らが問うことにしていた祭司たちは、剣に倒れた。次に何が起こるのであろうか。PP 344.3

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