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患難から栄光へ

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    第56章 パトモス島に流される

    キリスト教会が組織されて以来、半世紀以上たった。その間、福音の使命は絶えず反対されてきた。敵はその努力をゆるめず、ついにローマ皇帝の権力を得てキリスト教徒に反対することに成功していた。 引き続いて起こった恐ろしい迫害の時、使徒ヨハネは、信者たちの信仰を固め、強めることに力をつくした。彼は相手が論駁できないあかしを持っていた。そしてそれは、兄弟たちが彼らにふりかかる試練に勇気をもって忠実に立ち向かう助けになった。クリスチャンたちが、いやおうなしに直面した激しい反対のもとで、信仰をぐらつかせているような時、年老いた、信頼できるイエスのしもベヨハネは、十字架にかけられて、よみがえられた救い主の話を、力強く雄弁に繰り返した。彼はゆるぎない信仰を持ち、そのくちびるからはいつも同じ喜びの使命が語られた。「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について……すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる」(Ⅰヨハネ1:1~3)。AA 1573.1

    ヨハネは非常に長生きした。彼はエルサレムの滅亡と、堂々とした神殿の荒廃を目撃した。救い主と親しくつながっていた弟子たちの最後の生き残りとしての彼の言葉には、イエスがメシヤであり、世のあがない主であるという事を説くにあたって大きな影響力があった。だれも彼の誠実さを疑うことはできなかった。そして、彼の教えによって多くの者が不信心から真理へ導かれた。AA 1573.2

    ユダヤ人の役人たちは、キリストのみわざにゆるぎない忠誠をつくしているヨハネに、はげしい憎しみをいだいていた。ヨハネのあかしが人々の耳に鳴り続けているかぎり、クリスチャンに反対する自分たちの努力は何の役にも立たないと、彼らは言った。イエスの奇跡や教えが忘れられるためには、その勇敢な証人の声を黙らせなければならない。AA 1573.3

    そのためにヨハネは、信仰を試みられるためにローマに呼び出された。その当局者たちの前で、使徒の教理は誤って述べられた。偽りの証人たちは、扇動的な異端を教えているとして彼を告訴した。こうした告訴によって敵はこの弟子を死刑にさせたいと願った。AA 1573.4

    ヨハネは明瞭に、説得力を持って弁明した。しかも非常に単純、率直であったので、彼の言葉には力強い効果があった。聞く者たちは彼の知恵と雄弁に驚いた。しかし彼のあかしに説得力があればあるほど、反対者たちの憎しみは深まった。ドミティアヌス皇帝は激怒した。彼はキリストの忠実な支持者ヨハネの論法を論駁することも、ヨハネが真理を語るときに伴った力に対抗することもできなかった。それでも彼は、必ずヨハネの声を沈黙させようと決意した。AA 1573.5

    ヨハネは煮えたぎる油の大がまの中に投げ込まれた。しかし主は、燃えさかる炉の中の3人のヘブル人を守られたように、この忠実なしもべのいのちを守られた。こうして欺瞞者ナザレのイエス・キリストを信じる者たちはみな滅びると、言葉が語られた時、ヨハネは、わたしの主は、サタンとその天使たちが主を辱め苦しめようと計るすべてのことを、辛抱強く受けられるのであると、言明した。キリストは世を救うために命をささげられた。わたしは主のみわざのために苦しむことを許され、光栄である。わたしは弱く、罪深い者であるが、キリストはきよく、罪のない、純潔な方であった。主は罪を犯さず、語られることばにも悪意は見られなかった。AA 1573.6

    これらの言葉には影響力があった。ヨハネは、彼 を大釜に投げ込んだ同じ男たちによって、大釜から出された。AA 1573.7

    再び迫害の手が使徒ヨハネの上に重くのしかかった。皇帝の命令によりヨハネは「神の言とイエスのあかしとのゆえに」有罪を宣告されて、パトモス島に追放された(黙示録1:9)。ここではもはやヨハネの影響力は及ばず、やがて彼は困難と失望のうちに死ぬにちがいないと、彼の敵たちは思った。AA 1574.1

    パトモスはエーゲ海にある不毛の、岩の多い島であり、ローマの政府により犯罪者の流刑の場所として選ばれていた。しかし神のしもべにとって、この陰気な住居は天にいたる道となった。ここで、生活の忙しい場面から、また、これまでの活発な働きから遮断されて、ヨハネは神とキリストと天使たちとの交わりを持ち、彼らから今後の教会のための指示を受けたのである。この世界歴史の終末の場面に起こる諸事件のあらましが、彼の前に示された。そしてヨハネは、そこで神から受けた幻を書きしるしたのである。彼の声が、彼の愛し仕えた方をもはやあかしできなくなった時、その不毛の島の岸辺で彼に与えられたメッセージは、この地上の国々に関する主の確かな目的を伝える輝かしい明かりとして輝き出るのであった。AA 1574.2

    パトモス島の崖や岩間で、ヨハネは創造主と交わった。彼は過去の生活を振り返って、これまで受けてきた祝福を思い、平和な気持ちでいっぱいになった。彼はクリスチャン生涯を送ってきて、「死からいのちへ移ってきたことを、知っている」と、心から言うことができた(Ⅰヨハネ3:14)。ヨハネを追放した皇帝はそのようではなかった。彼はただ戦争と大虐殺の野に、みじめな家庭に、嘆き悲しむやもめや孤児に、優越を望む彼の野心の実を見るにすぎなかった。AA 1574.3

    ヨハネは彼の孤立した家の中で、これまて以上に深く、自然の書や霊感のページに記されている神の力の啓示を学ぶことができた。彼にとって創造のわざを瞑想し、造物主をあがめることは喜びであった。以前には彼の目に飛び込んできたものは、森でおおわれた山々や緑の谷、実り豊かな平原であった。そして、自然の美しさの中に、創造主の知恵と巧みをたどることが彼の喜びであった。今、ヨハネは、多くの人たちにとっては陰気でおもしろくもなさそうな風景に取り巻かれていたが、彼にとって、それはまた別であった。彼の周囲のものは荒れ果てて、味気ないものであったかもしれないが、彼の頭上にひろがる青い大空は、彼の愛したエルサレムの上の大空のように輝かしく美しかった。荒れて、ごつごつした岩に、海原の神秘に、大空の輝きに、彼は大切な教訓を読みとった。これらすべてに神の力と栄光を語るメッセージがあった。AA 1574.4

    使徒は、地に住む人たちが神の律法をあえて犯したために地に氾濫した洪水のあとを、周囲に見た。水がどっと出て、海の深みから、また地から投げ上げられた岩は、神の怒りの激しくほとばしる恐ろしさを、鮮明に思い出させた。淵々呼びこたえる多くの水の音の中に、預言者は創造主の声を聞いた。無情な風にたけり狂う海は、彼にとって、立腹された神の怒りをあらわした。激しく立ち騒ぐ大波は、目に見えない手により定められた限度に抑えられ、無限の力を持つ神の支配を語っていた。そして対照的に、彼は、地の虫けらに過ぎない人間が、持っていると思い込んでいる知恵と力に得意になって、まるで神も彼らと似たようなものであるかのように、宇宙の支配者であられる神にそむいている、その人間の弱さと愚かしさを知った。岩は彼に、彼の力の岩であられるキリストを思い起こさせた。この岩かげに彼は恐れなく身を隠すことができた。岩の多いパトモス島に追放された使徒から、神を求める最も熱烈な魂の切望と、最も熱情的な祈りがささげられた。AA 1574.5

    ヨハネの経歴は、神が年老いた働き人をお用いになる方法の顕著な実例を示すものである。ヨハネがパトモス島に追放された時、多くの人々は彼の奉仕が終わった、折れた古い葦は今にも倒れるであろうと思っていた。しかし主は彼をまだ用いることが適当であるとご覧になった。以前の働き場から追放されたが、彼は真理のあかしを立てることをやめなかった。パトモスにいてさえも彼は友人や改心者をつくった。彼のメッセージは喜びのメッセージであり、よ みがえられた救い主が、天において彼らのためにとりなしをしておられ、ついにはその民を迎えにもどって来られることを宣べ伝えるものであった。そして主のために奉仕を続けて年をとった後、彼は生涯のこれまでのどんな時よりも豊かに天来の交わりを受けたのである。AA 1574.6

    生涯の力を傾けて神のみわざと取り組んできた人々に対しては、最も心のこもった敬意を表さなければならない。こうした老齢の働き人は、嵐や試練の真っただ中に忠実に立ってきた。彼らは病弱になっているかもしれない。しかし彼らはなお、神のために彼らの本分を全うする才能も資格も持っている。たとえ衰えて、若い名たちが負うことのできる、また、負わなければならないような重い責任を、負うことができなくとも、彼らが与えることのできる勧告は最も価値のあるものである。AA 1575.1

    彼らは間違いをしたこともあったであろう。しかし、失敗から彼らは、誤りや危険を避けることを学んできた。だからこそ賢明な勧告を与える資格があるのではないだろうか。彼らは試みや試練に耐えてきた。そして彼らの活力の一部は失われたかもしれないが、主は彼らを除かれない。主は彼らに特別の恵みと知恵を与えておられる。AA 1575.2

    みわざが困難な時に主に奉仕をしてきた人々、真理のために立つ者がほとんどいなかった時に信仰を持ち続けた人々は、尊ばれ、尊敬されなければならない。主は若い働き人たちに、こうした信仰の深い人々と交わることによって、知恵と力と円熟とを身につけるよう望んでおられる。そのような老練な働き人が共にいるために、大変恵まれているのだということを、若い者たちは認識しよう。若い者たちは会議の場で彼らを礼遇しよう。AA 1575.3

    キリストのみわざに一生をささげてきた人たちが、地上での奉仕を終える時期に近づくと、聖霊による感銘を受けて、これまで神のみわざに携わっていた時の経験を詳しく話すようになる。神がその民を導かれたすばらしい配慮や、試練から彼らを救い出された神の大きな恵みの記録は、新しく信仰に導かれてきた者たちに繰り返し語られなければならない。神はこの年老いた経験豊かな働き人たちが、彼らの持ち場に立って、人々を悪の大波に押し流されないよう救うために彼らの分をなすようにと望んでおられる。神は、武具を脱ぐよう彼らに命じるまでは、武具をつけているようにと望んでおられる。AA 1575.4

    迫害のもとに受けた使徒ヨハネの経験には、クリスチャンにとってすばらしい力と慰めの教訓がある。神は悪い人々の計画を阻止なさるのではなくて、彼らの策略を、試みや戦いの中にいながら信仰と忠誠を守り通す人々の利益となるように導かれる。福音の働き人は、しばしば迫害の嵐、激しい反対、不当な恥辱の真っただ中で働きを進めることがある。そのような時、試練や苦悩の炉の中で得られる経験は、そのために受ける痛みのすべてに値するものだということを思い出そう。こうして神はその子らをご自身のもとに引き寄せられて、彼らの弱さと神の力をお示しになるのである。神は、神により頼むことを彼らにお教えになる。こうして彼らに危急に立ち向かう準備をさせ、責任のある地位につき、与えられている力を尽くして大切な目的を果たすようにさせて下さる。AA 1575.5

    各時代にわたって、神に任命されたあかしびとは真理のために恥辱や迫害に身をさらしてきた。ヨセフは徳と高潔を守りつづけたためにそしられ、迫害された。神に選ばれた使命者ダビデは敵から猛獣のように追われた。ダニエルはあくまでも天に忠誠であったために、ししの穴に投げ入れられた。ヨブはこの世の財産を奪われ、肉体的に非常に苦しめられ、親せきや友人にきらわれた。それでも彼は高潔を保ちとおした。エレミヤは神から語るようにと与えられた言葉を語らないではいられなかった。彼のあかしは王やつかさたちを非常に怒らせ、そのため彼は胸の悪くなるような土牢に入れられた。ステパノはキリストと十字架につけられた主のことを宣べ伝えたために、石で打たれた。パウロは異邦人に対する神の忠実な使命者であったために、むちで打たれ、石で打たれ、ついに死刑にされた。ヨハネは「神の言とイエスのあかしとのゆえに」、パトモス島に流された。AA 1575.6

    こうした人間の不動の信念をあらわす模範は、神の約束——神の内住と支えて下さる恵み——の確かなことをあかししている。彼らはこの世の権力によく耐える信仰の力を、りっぱにあかししている。どんなに暗い時にも神に頼り、どんなにきびしい試練にあい、嵐にもまれても、天父が船のかじを握っておられることを感じることができるのは、信仰の働きである。信仰の目だけが、現在の事柄のかなたをながめ、永遠の富の価値を正しく評価することができる。AA 1576.1

    イエスはこの世の栄光や富をめざしたり、試練のない生活ができるような希望を、主に従う者たちにお与えになったのではない。それどころか、イエスは彼らに、ご自分に従って克己と非難の道を歩むよう求めておられる。世をあがなうために来られたイエスは、悪の連合軍に反対された。悪人と悪天使は、無情な同盟をつくり、平和の君にこぞって反対した。イエスのことばと行動の1つ1つが神の憐れみをあらわし、彼は世と異なっていたために、激しい敵意を引き起こした。AA 1576.2

    キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者たちはみな、このようになるであろう。キリストの霊に満たされている者たちすべてに、迫害と非難が待っている。迫害の性質は時代によって変わるが、その本質、すなわち、その根底にある精神は、アベルの時代以来主の選ばれた者たちを殺害してきたのと同じものである。AA 1576.3

    各時代にわたり、サタンは神の民を迫害してきた。彼は神の民を苦しめ、殺害してきたが、神の民は死ぬことで勝利者となった。彼らはサタンよりも偉大な方の力をあかしした。悪人は肉体を苦しめ、殺すかもしれないが、キリストと共に神のうちに隠されているいのちに触れることはできない。悪人は人々を獄屋に監禁することができても、彼らの心を縛ることはできない。AA 1576.4

    試練と迫害を通して神の栄光——神のご品性——が、その選民の中にあらわされる。世人に憎まれ迫害されるキリストの信者たちは、キリストの学校で教育され訓練される。地上にあっては、狭い道を歩き、苦難の炉で精錬される。彼らはきびしい戦いを通ってキリストに従い、克己に耐え、苦い失望を経験する。しかし、このようにして彼らは罪の罪深さと苦悩を知り、嫌悪の思いをもって罪を見るようになる。キリストの苦難に共にあずかるとき、彼らは暗黒のかなたに栄光を仰ぎ、「わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない」と、言うことができるのである(ローマ8:18)。AA 1576.5

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